【スイス旅行記目次】

スイス旅行記前回の旅行

最高の時計を下さい

スイス旅行記今回の旅行)(その1)

スイス旅行記今回の旅行)(その2)

スイス旅行記今回の旅行)(その3)

スイス旅行記今回の旅行)(その4)

スイス旅行記今回の旅行)(その5)

スイス旅行記前回の旅行                        

平成12年(西暦2000年)子供が夏休みに入った直後の7月20日から7月30日まで、スイスに行くことにしました。今回は2度目のスイス行きです。

前回はフランスのグルノーブルからジュネーブに入り、ローザンヌ泊、モントルー,インターラーケン経由でブリエンツ泊、その隣のエーブリゲン泊、ルツエルン、バーゼル経由でフランスのコルマールに出ました。

ここでは、前回の旅行を思い出すままに書いてみますと、

ローザンヌのレストランで出会ったティラミスーと地元のシャルドネの白ワインのおいしかったこと。

ブリエンツで宿が取れずに、親切なスイス人夫婦のベンツに乗せていただいて、隣町エーブリゲンの小さな宿キルフェンまで送っていただき、そこから見た美しい湖の美しかったこと。

ロートホルンのミニ蒸気機関車の登山鉄道で、カウベルを付けた牛の群れや、高山植物がうれしくて、手持ちのビデオや写真の所有枚数を途中で撮りつくしてしまい、肝心の頂上での写真が1枚も撮れなかったこと。

インターラーケンからトウーンまで乗った船の食堂でいつまでも見える三角の山を見ながらいただいた絶品のコンソメスープ(いまでも、ここのスープが一番だと思います)のこと。

ユングフラウヨッホで列車からおりて急いで歩いたら、目の前が真っ白くなりクラッとして高山病になりそうになったこと。

ルツエルンの木製橋に掲げられた風景額を火事で焼失する前に見ることができ、そこで食べたラクレット(チーズとスライスじゃがいも)がお腹の中で固まって後で苦労したこと。

バーゼルの駅構内を列車の乗り継ぎ時間が無くて、税関にパスポートを見せつつ走って行ったこと。

などが思い出されます。次に、その時の体験を交えた文を一編ご紹介しましょう。

最高の時計を下さい

スイスの都市ルツェルンにある・老舖時計GUBELINの店で、私はフエルトの上にうやうやしく陳列されている時計の品定めをしていました。その時、後から店に入ってきた初老の紳士が店員に、「サイコウの時計を下さい」、とドイツ語で言いました。若い女性店員が、「ここは、GUBELINしか収り扱っていません」と答えると、彼の紳士は、日本製のサイコウの時計が欲しかったのに」と、すごすご帰っていきました。そのとき、私の腕には、彼の欲しがっていたSEIKOの腕時計が巻かれてました。「失礼ですが、私のでよかったら」と、声をかけようかと忠いましたが、それこそ本当に失礼なのでやめました。お互いに、遠くの国の製品にあこがれるものだな、と感心しつつ、GUBELINの卓上金時計を買いました。その帰りに、通りに面した郷土料理のレストランで、硬質チーズを溶かしてどろどろにしたものを、ゆでたじゃがいもで食べる、「rac1etteラクレツト」という料埋を一皿平らげました。その後が、大変です。お腹に入ったチーズは、私の体温では、再び硬質チーズに戻ってしまい、往生したことを覚えています。栃木県宇都宮市の二荒山のすぐ前の路地に、ANDREAという・ドイツ料理のレストランがあります。ランチのコースの中の一皿に、あのラクレットか出てきました。今度は、突き出し程度の小皿ですから、大丈夫でしょう。ここの料理は、とてもおいしい部類に人るのですが、快活で美しい、ブロンドのドイツ人女性アンドレアさんがサービスしてくれますから、よけいおいしく感じてしまいます。日本語が上手なアンドレアさんは、気さくに話の相手をしてくれますので、早速ラクレツトのことを話題にすると、「私は・ラクレットは好きではありません。ですから、チーズフォンデューよりは、肉を使ったオイルフォンデューの方が好き。」と即座に答えてくれます。そして次々と、食べ物の話題が進展していくのです。(A=アンドレア、K=私) A「ザリガニは今や高級食材ですが、ドイツでは戦後食料が少なかったときは、近くの小川でザリガニを獲って食べて、飢えをしのいだ、とおじいちゃんが、話していたわ」。K=日本でも同じです、私も子供の頃、ザリガニを塩ゆでして食べたことがありました」。K「ドイツ語学校の生徒が、お弁当を開くと、中身は生のニンジンだけで、それをかじっていたのでびっくりした、と私の妻が言っていましたが」。A「ドイツでは、生のニンジンを普通に食べます、兎みたいでしょ。日本の物より小ぶりだけれど、私も子供の頃、お友達と他人の畑のニンジンを引き抜いて、おおざっばに泥を落としてその場で食べたりして遊んだわ」。K「子供の頃、川で泳いで、子供達みんなで河川敷の畑のきゅうりを失敬して、かじったことがありました」。K「フランスのアルプス地方の朝市でおばあさんが、鉛筆位の大きさの木の枝を数本束ねて、200円くらいで売っていました。どうするのかときいたら、かじるのだ、という。かじってみたら、サトウキビのように甘い。この甘い木を知っていますか?」。A「その木はドイツの森にもあるよ。若者が、恋人に甘い言葉をかけると、彼女に、あんたの口は甘い木をかじったんじゃないの、とからかわれるそうよ」。K「ドイツのグッテンベルクというお城で、おいしい麦のスープを飲んでから、ガイヤーのショウを見ました。ガイヤーって、ドイツ語でワシのことですよね」。A「麦のスープ」なんて、おいしいのかしら。ガイヤーはワシではなく、ハゲタカのことよ。ドイツでは、税務署員のことも、ガイヤーって、言って嫌うの、だって、滞納すると、家に上がって差し押さえの札を貼っていくでしょう、まさに、ハゲタカよ」。K「ドイツではおろしだいこんを食べないでしょう?」。A「私は平気、食べるけど、ドイツには、おろしだいこんはないよ。ドイツの大根は日本のより辛いと思うわ。細かく刻んで料理に添えたり、刻んで漬け物にして食べたりするの」。K「以前、ドイツ人の家で、私がちゃんこ鍋を作って、ごちそうしたことがありますよ」。A「そんな物、食べましたか?」。K「スライス豚肉、おろしタマネギ、ドイツのビネガー、それに日本から持参した醤油で味付けしましたが、好評でしたよ」。A「醤油は、今はドイッのどんな田舎に行っても、売っています。私は、ドイツに帰国したときは、丼物とか、てんぷらを作ってやるの。井物なんか、ドイツ人は喜んで食べるよ」。K「すると、ごはんも炊くの?」。A「もちろんよ」。K「帰国する時は、当然ルフトハンザを利用するのでしょう?」。A「とんでもない、私は毎回全日空よ。この前も、ドイツからお店用にワインを15本持ってきたわ。ルフトハンザは厳格で、少しでも荷物の重量がオーバーすると追加料金を払えと、言うの。その点日本の航空会社は、少しくらいなら大目に見てくれるもの」。A「ドイツ料理を毎日食べていたらお腹にもたれて、体調が悪くなってしまったの。その時は、早く日本に戻って和食が食べたかった」。ーーーーすっかり日本人になってしまった、アンドレアさんです。スイス旅行記目次に戻る