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サンモリッツ行き

ホテルからアッペンツエル駅に行く道の途中にアッペンツエルチーズの専門店がありました。くせのあるチーズと言われていますが、それほどでもありません。参考に少々買い列車に乗りました。向かいの席にいらっしゃった60才代のおじさんが、「スイスの中でも、牧草が山頂まで広がっている風景はこの地方だけなのですよ。ほら山の上にも家が見えるでしょう。私はこの風景に魅せられて、毎年この付近の山を登りに日本から来るのです。」と説明して下さいました。そして、途中の駅で奥様とご一緒に笑顔で降りて行かれました。(マニアですね!それにしてもうれしそうでしたよ)。アッペンツエル鉄道を来た時と同じようにゴッサウGossauで乗り換えサンモリッツを目指しました。途中のザンクトガレンSt.Gallen駅から今朝アッペンツエルのホテルでお会いした東京四谷にお住まいのご夫婦が乗り込んできました。私たちより遅くホテルを出たのに、追いつく近道をご存じなのですから、旅慣れていらっしゃいます。ご旅行は毎年スイス専門だそうです。途中、車窓からほんの短い間ボーデン湖が見えました。後は、ずーとオーストリアとの国境の高峰を横目に列車は走って行きます。大きな近代的な駅に入りました。クールChurです。日程の関係で私たちはこの町には降りずに通過します。列車は深山へと分け入ります、雪を頂いた高峰が見えてきました。車窓からビデオを撮っていると、隣の席のスイス人のおじさんが、もうすぐ撮影のポイントだよ、とゼスチャーで教えてくれました。

おかげで、見事なアーチ石橋の上を列車が渡る光景を撮ることが出来ました。

ザンクトモリッツSt.Moritz

車内放送も、駅構内のアナウンスもザンクトモリッツと発音しています。この地はスイスのフランス語圏ではありませんから、サンモリッツとは言わないわけです。日本にこの地を最初に紹介した人が呼び名を間違えたのでしょう。私たちは、大きな旅行鞄を持ちながら歩くので、なるべく平坦な道で、駅にも近いところを、インターネット情報も参考にしながら探し、アメリカの旅行会社も推薦しているホテルWaldhaus Am Seeに泊まることにしました。その名の通り、駅の裏手の湖畔にあり、朝夕2食付き、3人で泊まって、2泊の料金が800SF(53,000円)です。内装はむくの白木をふんだんに使っていて、部屋にはダブルの洗面所、ツインベッド、湖を一望できるテラス、むくの洋服たんす、そして木の階段を上がるとロフト(右の写真)があり、そこには2つのベッド、机と椅子、洋服たんす、湖の見える窓があり子供は大喜びです。家具もすべてむくの白木で出来ていて、暖かい色の電球の照明との組み合わせで、何ともいえない安らぎの空間を構成しています。私が今までに宿泊したホテルの中でも最高です。

荷物を部屋において、街に出ました。上り坂です。土曜日なので商店街は閉まっています。道を左の山の手のほうに30分ほど歩いて、セガンテイーニ美術館に着きました。細い線で描かれた、生まれる、生きる、死ぬ、の三大作品の迫力に圧倒されました。Segantiniはこれらの大作を描いた直後に亡くなったということです。精根つきはてたのでしょう。彼の時代も、100年経った現代も、人間は絶えず死という運命から逃れられないまま生きているのです。医院の待合室用に、生きる(la Vita)の縮小コピーの絵を買いました。道を1本湖側に下るとコープがありました。土曜日なので午後5時までしか開いていません。プランター用のバジルの種と、明日のハイキング用に西洋梨とハムを買いました。地球の歩き方に紹介されているイタリアンレストランBoccalinoはコープのすぐ近くに在りました。まだ開店までには1時間以上有ります。近くの建物の影で待っていましたが、太陽が雲に隠れると、冷たい風が吹きつけて、寒くていられません。歩きはじめると、湖の辺に小さな教会が見えました。教会の前の道にさしかかると、向こうから馬車の列が走ってきます。観光馬車かなと、思いながら見ていると、馬車は目の前で止まり。花嫁、花婿さんが降りてきました。馬車には大きなひまわりの造花が飾ってあります。後続の馬車の親族は普段着で、アノラック姿や、短パン姿も見えます。まるで、図ったようなタイミングで馬車が走ってきたので、これらのシーンをビデオに撮ることができ、ラッキーでした。小さな教会の中にはモダーンな絵のステンドグラスが収めれていました。説明によりますと、チューリッヒの作者が最近完成した物だそうです。レストランBoccalinoはおいしくて、安くて最高でした。外はまだ明るいので、残照に映る山並みを見ながら、湖の岸に沿って、ホテルまで歩いて帰りました。ホテルの周囲には野菜畑が作られています。ホテルのサラダは新鮮だぞ。すっかり満ち足りて、ホテルの部屋でまどろんでいると、午後9時頃部屋の電話が鳴りました。妻が出てみると、「まだ、夕食にお見えになりませんが、もうすぐホテルのレストランは終了します」というので、妻が「すでに外のレストランで夕食は済ませました」と答えると、ホテルの女性は、けらけらと笑って電話を切りました。その後、私は妻からシッカリおこられました。ホテル料金が夕食込みであることをすっかり忘れてしまった私が悪うございました。しかし、その代わり、おいしいイタリア料理を食べたし、結婚式の馬車に巡り合えたのですから。

オスピチオ・ベルリーナOspizio BerninaからアルプグリュムAlp Grumまで

今日は日曜日で、街にいても仕方がないので、ハイキングを計画しました。朝9時頃、普通列車でザンクトモリッツ発、10時前にオスピチオ・ベルニーナ駅に到着。列車を降りて驚きました。登山用の杖を持った中高年の日本人団体客が大勢前にいます。一緒に行動するのは、騒がしいし、ペースも違うので困ったなと思っていると、幸い、添乗員さんが団体の方々に出発前の準備体操を指示しました。その間隙をついて、一群から抜けだし、自由の身になりました。これからは、私たちの方が歩くペースが早いですから、追いつかれる心配はありません。はじめの約30分は、右手にラゴビアンコの白濁した水とその後ろにそびえる霧にかすんだ高峰を仰ぎながら平坦な道を歩いて行きます。沿道には色とりどりの高山植物が見られます。湖を過ぎると、道は2手に別れて、線路に沿ってそのまま次の駅に行く平坦な道と、山に向かって登って行く道とになります。登り道を選んで進み、途中、放牧された牛の群れを見たりしながら、15分ほどで展望台に着きました。眼下には美しい湖が青い水をたたえています。そして天空には氷河の流れる高峰の一部が霧の中におぼろげに見えます。天気はあまり良くなく、通り雨が5分ほど降りました。持参した昼食を食べて、今度は下に見える駅まで一気に下山していきます。20分ほどでアルプグリュム駅に到着しました。しばらくして、列車が入ってきました。行き先を見るとザンクトモリッツでこれではありません。周囲の景色を眺めていると、停まっている列車の向こう側にティラノ行きの列車が入ってきました。線路の中に歩道はありません。あわてて、恐る恐るザンクトモリッツ行きの列車の先頭の前を通り抜けて、ティラノ行きの列車に駆け込みました。列車はどんどん山を下っていきます。ガイドブックやパンフレットに載っているオープンループ橋はほとんど山を下りきって平坦地に入った所に有ります。不意に見えてくるので、行きはうまく撮影できませんでしたので、駅からの時間を計っておきました。そのおかげで、帰りには、ばっちり撮影出来ました。

ティラノTirano

解説書通り、ティラノ駅の税関のパスポートチェックは厳重でした。難民の流入を防ぐためかも知れません。駅を出るとすぐにレストランの呼び込みの声が飛び交いますが、それらを無視して中心街に進みます。今年出来立ての乾燥ポルチニ(きのこ)の大瓶が日曜にもかかわらず売っていました。欲しかったのですが、通貨のことがめんどうに感じて、買うのをやめました。旧市街の教会をみて戻り、歴史のあるジェラート屋さんで、イタリア語でスイスフランが使えるか尋ねてOKを確かめてから、パフェを頼んで休憩しました。通り雨は店を出る頃にはやみました。山岳地帯の旅には傘が必携です。

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