サンジャンドリュツ(その2)St Jean de Luz 

今晩は、街のレストランに行って、ゆっくりお食事です。リゾート地ですから、レストランの数も多ければ、人も沢山ひしめいていて、街中にぎやかです。あらかじめゴーミョーで調べておいた数軒のレストランを下見して、その中から、バカンスの客も、地元の客も区別なしに好意的に迎えてくれる、と言う評価の付いた La Vieille Auberge (22 rue Tourasse)というレストランに行くことにしました。スプーンとフォークのネオンサインの看板がでていますので、遠目からもすぐにわかります。隣のレストランはまだ空席があるのに、なるほど、もうお店の中はお客さんであふれています。しまった、テーブルがまだ有るかしら、と一瞬ひるみましたが、思い切って声をかけると、奥へどうぞ、で一安心。100席あるといわれていますが、最後のテーブルでした。(反省、人気のレストランには早めに出かけるべし) 魚のスープ、田舎のハム・パテ・バスク風、そして、本日の魚料理、子供はローストチキンを注文。ルイユとトーストパンのついた魚のスープはとてもおいしくて、サンセバスチアンのものとは比較にならない。量はたっぷり。田舎のハムとパテ・バスク風、これはもう最高においしい。

ボリュームたっぷりです。この2皿でお腹が出来上がってしまいました。さらに、本日の魚料理。水族館で見たような、いさきのような地元の魚の香草蒸しです。そこに、おにぎりくらいの大きな皮付きベークドポテトがついています。魚の身をすこしつついただけで、もう降参です。ゴーミョーの解説を更に見直すと、値段の割に量は相当なものだ、と書いて有ります。ゲー、ここは、おいしいだけでなく、大食らい向きのレストランだったのです! デザートのアイスクリームを食べて身重になって帰りました。サービスは、笑顔で、きびきびと、そのうえ、3人で6000円位と、大満足のレストランでした。

次の日は日曜日です。駅の横のNivelle川の橋を渡って、対岸のCIBOURE地区に行き、その地のSt. Vincent教会と作曲家ラヴェルの家を見ることにしました。

Nivelle川の橋を渡っていると、漁港に船が停泊していて、人だかりがしています。玉網を使って、マグロを陸揚げしているのです。そういえば、この街のレストランではThon マグロの料理が目に付きます。CIBOURE地区に行くと、教会の近くで、朝市が開かれていました。日曜日でラッキー。長さ15センチ位ありそうな、真っ赤な太い唐辛子がバスクの名産らしいのです。粉に挽いたものをちょっとなめてから、一瓶買いました。魚スープとか、何にでも使えると言っていました。さらに進むと、日本のデパートのエスカレーターの付近で良く見かけるような、巧みな口上と手さばきで調理器具を売っているおじさんがいました。料理好きな私は、早速、野菜が薄く切れて、手を傷つけない装置の付いたナイフと螺旋状にじゃがいもを切り出す針金状ドリルのセットを50フランで買いました。説明書はフランス語ですが、物はイタリア製です。ラジカセから楽しい音楽が流れてきます。バスクの音楽テープ、CDを売っています。どれを買って良いかわかりませんので、いまかかっている音楽のCDを下さいといって求めた物は、KANTALEONというタイトルでBAYONNE、6AU10AOUT、1997と書いてありました。10曲ほど、伴奏付きの男性3人のコーラスが入っています。言葉はバスク語ですから全然わかりませんが、メロヂデイー、リズムがとても楽しく親しみ安い。(これに対して、以前フィンランドで聞いた音楽は、私には違和感があって、なじめません)   St. Vincent教会はいかにも歴史を感じさせる木造の教会です。内部の木の枠組みも素晴らしく、一見の価値があります。丁度、赤ちゃんの洗礼式が行われていました。ここで、作曲家ラヴェルのことを、記述してみます。ーーーMaurice Ravelは、1875年3月7日バスク人の母親Marie Deluartとスイス人の父親Joseph Ravelとの間に生まれた。生後1週間にして、家の真裏の小さな16世紀建立のSaint Vincent教会で、洗礼を受ける。3-4か月後、父の仕事の理由でこの地を離れパリに移り、多くの芸術家、音楽家との交流で成長していった。毎年、年次休暇には彼の生家のあるサンジャンドリュツCiboure地区に戻るのが習わしであった。これは、彼の父の死後もずっと続いた。1928年かの有名な曲"Bolero"をCiboure地区の小さなホテルで書き上げた。フランスの作曲家モーリスラベルの生家は、オランダの建築家により17世紀に建てられたもので、アムステルダムの運河に面している建物のように完全にオランダ様式を呈して、サンジャンドリュツの港に面して建っている。ーーー私は、教会の裏側に行ってみましたが、それらしき家が見つかりません。近所の人に聞きますと、屋根の形が帽子状になっていて、直ぐにわかるよ、教会の裏でなくて、表の道路だよ、と教えてくれました。でもそばに行くと、近すぎて屋根の形が良く見えません。お腹が空いたので、海岸近くの涼しい小公園で近くの菓子屋から買ってきたパイと公園の水道水を飲みました。通りがかりの犬も水道水を飲みに来ていました。

暑い昼下がり、駅近くの漁港の方に引き返してきました。港からは、屋根の形が帽子状のラヴェルの家がよく見えます(写真の教会はCiboure地区のSaint Vincent)。暑い日差しを避けて、漁港の倉庫の裏側にまわって、港からの街の風景をスケッチし始めました(スケッチの教会は街の中心にあるSt-Jean Baptiste)。まだ完成しないうちに、ほら、また出港してしまった、早く行かないと、船に乗る時間がないよ、と妻がさけびます。いつの間にか、大分時間が経ってしまったようです。

急いで、乗船場にいってみると、あとのまつり、1時間後の5時発の最終便を残すだけです。それまでに、一番大きなSt-Jean Baptiste 教会を見学。美しいMARIE ROSE号という船に、黒人の案内人に導かれて乗船。湾から外海に出ると、結構波が高い。遠くアンダーユやビアリッツを見て、30分で帰港。まだ時間があるので、ルイ14世の館を見学。この館はインフォメーションの直ぐ近くにあり、海運で財をなした地元の名士個人所有のもので、現在もその中の一画にお住まいのようです。ルイ14世はこの館に1か月少々ご滞在になられたとのことです。私は緑色に統一された食堂の間が美しく感じました。今夜の夕食は、大通りにおいしそうなピザ屋さんがあり、迷いましたが、みんなの意見が一致して、駅に近いベトナム系中華料理のPAVILLON DE JADEヒスイの館(7 Avenue de Verdun)という店に入りました。すでに、大入り満員で、後から入った私達の所は注文さえなかなか取りに来てくれません。この調子ですから、料理は1時間に1品のスピードで出てきます。あまりの空腹で、無口になってしまいました。しかし、その料理たるや、ぷりぷりした海老など、最高の出来映えで(おそらく今までの私の体験した中華料理の中でも一番)おいしい事この上なしです。もっと早くに入れば、きっと料理も早かったと思います。チャーハンはもちろん、白飯も細長い米なのに、コシヒカリのようにおいしい。お客は、東洋人は私達だけですから、フランス人ばかり。器用に箸を使っています。お飲み物は、などと聞かず、大きな水道水のキャラフをテーブルに置いてくれます。値段は、一人1500円くらいと、安い、絶対のおすすめ店です。

翌朝8:00発のDAX行きの列車で次の目的地ユージェニーレバンに向けて出発。

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