その3.ロンシャン礼拝堂 Chapelle Notre-Dame du Haut、ベルフォール Belfort
8月9日(木)
バーゼル中央駅構内の通路から形だけの税関を通って隣接するバールフランス駅Bale CFFのホームに出ます。(バーゼルのことをフランス語ではバールというのです) Bale7:51発(ter)→Mulhouse ville8:14着 Mulhouse ville8:23発(ter)→Belfort ville8:56着 時間が十分あるので、後で使うTGVの座席指定券を買いました。Belfortは地方駅ですから窓口は空いていて、楽々です。乗車 日と列車をインターネットのhttp://www.voyages-sncf.com/から検索しプリントアウトした紙とフランス・スイスパスとを駅の窓 口に見せたので、スムーズに買うことが出来ました。座席指定券は一枚およそ10ユーロくらいです。まだ1時間半待ち時間があるので、駅前通りを左にまっす ぐ進んでBelfortの市街に行きました。20分ほど歩いて左に進むとインフォメーションがあり、市街地図をもらいました。見所は背後の山の城壁中段に あるライオン像です。途中まで登りましたが、時間がないので戻りました。

駅に行く途中のパン屋さんでお昼用にサンドイッチを買いました。Belfort ville11:02発(ter)→Ronchamp11:24着 無人駅です。
駅から1本道が下に向かっています。5分歩くと、自動車の走っている大通りに出ました。大通りを左手に5分ほど歩いていくとChapelle Notre-Dame du Hautの看板があります。

ここで、大通りから左手に曲がり、丘に向かって坂道を登っていく、夏場ですから暑い、もうこれ位で着いて欲しいと思い始める頃20分位で到着。つまり駅か ら歩いて30分です。ちらっと建物の屋根が見えてきただけで感激です。
入場料を払って、少し丘を登ると、ロンシャン礼拝堂Chapelle Notre-Dame du Hautが全貌を表します。周囲は芝生の公園の様な雰囲気。隣には、鐘があり、石段の様な建造物もあります。これらのすべてに意味があり、礼拝堂の構成品 目となっています。

先ずは北側にある入り口から礼拝堂に入ります。いくつもの小窓から光が差し込み、その色も様々で、独特な空間です。天井は船底型のコンクリート、床はコン クリートで木の椅子が簡単な祭壇に向かって並んでいて。祭壇の上の窓の内側には、聖母子像のモニュメントが祀ってあります。

皆夢中で写真を撮っていますが、カメラの弱点として、暗い室内全体に露出を合わせると、窓からの光は色のない白光として写ってしまい、小窓一つ毎に絞って 写さないと、その色、形、文字がはっきり記録できません。ですから、自分の肉眼で全体の光景を見渡すのが一番です。室内を一回りして、しばらく休んで、外 を廻って、いろいろな角度から外観を写真に撮りました。それでも1時間くらいで参観は終わり、四角い石段を組んだモニュメントの日陰の側で、緑の山々の遠 景を楽しみながら、お昼を食べていると、老夫婦が通りかかって、ボンナペティと声をかけられ、なんだか恥ずかしい。帰りに出入り口の売店で「ロンシャン礼 拝堂の出来るまで」というフランス語の漫画絵本を買って読んでみると、私がお昼を食べた石段のモニュメントは第二次世界大戦で祖国を守って戦死したフラン ス人たちの慰霊碑だということが分かりました。そのてっぺんまで観光客は登っていました。鐘も含めて、そこにあるモニュメント全体で礼拝堂が構成されてい るということです。礼拝堂のある丘から、周囲を眺めると、何処を見ても美しい緑の山並みが見られます。建物はもちろんですが、この丘からの眺望も忘れられ ません。

この景色こそが、依頼された著明な建築家ル・コルビュジエが、この地Ronchampロンシャンを建立地として選んだ理由だと以下の本に書いてあります。 売店で買ったHISTOIRE D'UNE CONSTRUCTION という本に依れば、ーーーーこの丘は北はシデ、ニレ、トネリコ、ポプラの森、遠くにはボージュ山脈、東にはBelfortの点在する家並み、鉱山から立ち 上る霞、南はエゾマツの茂るジュラ山脈が広がり、西は平原とソーヌ川、という眺めの良いところである。それ故、古代ローマ人はすでに4世紀頃から、この丘 に移り住んでガリア(当時のフランスなど)征服の拠点にした。ローマの軍隊が駐留する場所、つまりROMANORUM CAMPUSが語源で、現在のRonchampロンシャンという地名になったという(興味深い情報ですね)。4世紀、Constantin一世がキリスト 教に改宗し、その後は、教会が建ち、巡礼も訪れるようになる。しかし1913年大嵐で、教会は破壊され、聖母子像だけが奇跡的に助かったので。1923年 礼拝堂を建てた。その後、炭坑が開かれポーランド人の炭坑夫が住み着いたりした。1914年第一次世界大戦。1923年ネオゴシックのチャペルを再建する も、1944年第二次世界大戦で2ヶ月半の間、フランス軍とドイツ軍とが戦闘し礼拝堂は破壊され、丘は血に染まり、多くの戦死者を出した。潤沢な予算が無 いなかで、近代建築で礼拝堂を作れないか、と関係者が協議して、有名な建築家Le Corbusierにお願いすることになりました。(ル・コルビュジエはスイス生まれで、時計職人の息子。スイスの時計職人の歴史をみると16世紀のマル チンルターの宗教革命でカソリック教徒支配下のフランスを追われた新教徒のフランス人の一部がブザンソン方面からジュラ山脈を超えて、スイスに移住し、時 計工業をおこした。その子孫のル・コルビュジエはカソリックではなく新教徒なのです。)宗派の違いで一旦、固辞したル・コルビュジエですが、協会関係者の 熱い願いが通じて、礼拝堂建設を引き受けるやいなや、ロンシャンに直行し、その場で数時間後には外観図を描き上げました。外観図を見せられた協会関係者達 は、俺も年取ったものだ、これが礼拝堂か?、狂気としか思えない、いや、天才だ!、直角もなく、直線もない、信じられない造形だ、ある種、とても女性的形 だ、二つとない形だ!、屋根がキノコのかたちで、思いがけないすばらしさだ!など様々な意見がありましたが、皆一様に驚きました。そして金属とコンクリー トで造られたこの素晴らしい礼拝堂が、この地に1955年6月25日に完成したのです。ーーーー丘の上からの美しい眺めを堪能して、元来た道を歩いて下り ていきます。帰りは楽ちんです。大通りに出ても、お店は数件のパン屋さんくらいしか無く、ひなびすぎていて見るべきものはありません。通りの裏手に小川が 流れていましたので、少しは涼しいかと思い、そこで時間をつぶしました。緑色のトンボが群れていて、じっと見ていると、それぞれが停まるテリトリーをもっ ていて、他のトンボが来ると追い払うことが分かりました。そんな退屈な時間を小一時間過ごして、ロンシャン無人駅に向かいました。不思議なことに、スピー カーから列車が来ますというアナウンスが聞こえてきます。Ronchamp15:41発(ter)→Belfort ville15:58着
Belfort ville16:06発(ter)→Mulhouse ville16:39着 Mulhouse ville 16:46発(ter)→Bale CFF17:09着 
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