オーベルニュ紀行 その1 旅立ち 平成22年7月
                          
旅に出ること、それは、私たちにとって、いつでもわくわくする期待感に満ちた楽しいものですが、一方で思いもよらない展開が待ち受けている ものです。そんな場合、常に強い気持ちを持って対処すれば、何とかなるものだと改めて実感した今回の旅行でした。

7月14日(水)夜出発、7月22日(木)夜帰国という予定を5月の連休後に計画しました。今までなら、遅くとも4月の後半には航空券の予約をしていたの ですが、今回は往診している複数の患者さんの容態が安定するのを待っていたものですから、遅くなってしまいました。7月19日の祝日を組み込んでなるべく 休診日を減らそうとしたのですが、予定の日付はもう5月の連休明けの時点でJALもAIR FRANCEも空席が無く、航空券の予約が出来ませんでした。それでも、ここであきらめず強い気持ちを持って、インターネット検索を行うと、KLMオラン ダ航空のHPで、まだ2人分空席が残っていて、予定通りの航空券を予約できました。いまやKLMオランダ航空もJAL,AIR FRANCEと提携していて、お互いの航空券を販売しているのです。それで、運良くKLMに割り当てられたAIR FRANCEの航空券が手に入った訳です。(これは今回、発見した裏技です)

7月14日(水)例によって、成田空港の食堂街の京成友禅というお店で軽く食事をして、成田21;55発AF0277Paris行きで出発。運悪く座席は 通路に面していない内側の席。出発10分前、通路側の席がまだ空いている、大柄の黒人が歩いてきました、まさかと思ったら、そのまさかで、私の隣の通路側 の席に座る。この山のような男を超えて通路に出るのは至難の業だ。それに体臭が強い。12時間の我慢だ、と自分に言い聞かせます。不思議な物で、そのう ち、体臭には慣れてきて苦にならなくなりました。

機内放送があり、只今、ビデオ装置が故障しており、機内のテレビ、ビデオ、音楽が作動しません、鋭意復旧 に努力しますがご了承下さい、とのこと。夜間飛行ですので、機内を消灯して離陸します、と放送があり、シートベルト装着を示す小さな明かりを除いて真っ暗 な機内のまま離陸。なんか、奴隷船の船底に押し込められた奴隷のようなみじめな気持ちです。JALならこんな事はないだろうに、AIR FRANCEだからなー、と嘆いてもしょうがありません。12時間の我慢だ、と自分に言い聞かせます。

最近私は機内食には期待していません、私の使用する エコノミークラスでは、ろくな物が出ませんから。フランスに着けばいいの、着けば。いつもの通り、AIR FRANCE機内には日清のカップヌードルが置いてあります。大男の人に立っていただいて通路に出て、最後尾のトイレのまた後ろの乗務員待機所でシーフー ドカップヌードルを作ってもらいました。私にはこれが一番うまい。

席に戻ると、隣の大男は、寝ている、寝る子は育つのですが、育ちすぎて、自然に彼の脚が こちらの足の位置まで進入してくる。いくら私の脚をすくめても彼の温かい脚がベターと接してくる。12時間の我慢だ。そうだ今月発売になったばかりの武田 薬品の新型睡眠薬ロゼレムを持っていたっけ、ということで一錠飲んでみました。出発して3時間位して、やっとビデオシステムが復旧しました。中国語訳の字 幕のアメリカ映画を見たりしましたがさっぱりわかりません。結局、Parisまでほとんど眠れませんでした。

7月15日(木)
定刻の早朝4;15 Paris CDG空港に到着。建物の中を走る長い通路を10分くらい西へ西へと歩いてフランス国鉄SNCFの空港内駅に行きました。RERというパリ市内と近郊を走 る電車の乗車券を自動販売機でかいます。8.7ユーロ。小銭を持っていないので、VISAカードで買おうと試みたのですが、何度試みても受け付けてくれま せん。販売機が3台並んでいたので試しに別の機械に入れたら、すぐ買えました。(壊れた自動販売機をそのまま設置しておくーーーーこれもフランス流、日本 ではあり得ません)大分無駄な時間を使ってしまいました。駅の階段を下りるとRERのホームがありすでに列車は停まっています。早朝なので空いていて旅行 鞄を持っていても座れます。

RER B線 Direction ;Robinson.St Remy les Chevreuse
に乗りました。Aeroport Chareles de Gaulle 5;26→5;59Chatelet-les Halles下車し、A線に乗り換え、A2線Boissy-St-Leger行き又はA4線Marne-la-Vallee-Chessy行きに乗り換え る。6;04乗車→6;07Gare de Lyon着。久しぶりのパリリヨン駅。地下から上に上がって、遠距離切符売り場に行きます。

例によって、窓口の行列に並び、前の旅行者と駅員とのやりとり が10分以上続いて、6時30分、ようやく私たちの番が来ました。まず、パスポートを出し、フランスセーバーパスという鉄道パスを提出して、ヌ・コマンソ ン ア オージュウルドゥイ(私たちは今日から開始します)と告げて、窓口の係にスタンプを押してもらい、日付を書いてもらいます。

さて、今日は朝7時1 分発の特急(Teoz5951)でVichyビシーまで行く予定です。鉄道パスの他に特急座席指定券が必要です。ところが、窓口の係の返事は、もう売り切 れでありません。とそっけない。それでは、その次の列車の指定席は、とたずねると、午後4時だとの答え。丸一日スーツケースを持ったまま貴重な時間を暑い パリで費やすのかと、がっくりしてしまいました。今度の旅行はスタートからつまずいてばかりです。指定席を買わずに売り場を立ち去り、どうしよう、他の方 法は無いのか、と私達二人は駅で思案しました。あと10分足らずで、予定していた列車は出発してしまいます。

こうなったら、強い心を持って実行。鉄道パス は持っているのだから無賃乗車ではありません。とにかく乗車して、席が無くても旅行鞄の上に座って、行こう、時間通りに!と決断しましたが、パリリヨン駅 のホームは見渡す限り新幹線TGVばかり、Teozにはどこのホームから乗ればよいのかと、ホームの駅員さんにたずねると、左の方だとういので、駅員さん の左側に向かって行くと、何もない、よくよく考えたら、駅員さんの左ではなく、駅員さんと向かい合っている私の左方向だとわかり、急いで反対の方向に向か う。出発までにあと5分位しかない。焦って鞄を引きずりながら走る、ここはさっきまで居た切符売り場の窓口じゃないか、そこを通り過ぎると突き当たり、更 に左に向かうと、駅の建物の外に出てしまった。人が走っていくので後を走っていくと、そこにやっとTeozのホームがみえました。大汗をかいて、一等車両 に乗り込みセーフ。列車は1分足らずで発車しました。やれやれ、乗ってしまったらこっちの物、時間が来れば予定通りVichy着さ。

通路に旅行鞄を置いて、その上に座ってしばらくすると、車掌さんが乗車券拝見に来ました。時間が無くて指定席が買えなかったというと、コンパートメントが 一つ空いているのですが、よろしければいかがですか、とのこと。妻が20ユーロ札を出すと、それでOKということになり、今度は今までに見たことも、乗っ たこともない、白革張りの、出来たてぴかぴかのすばらしいVIP室。6人分のシートがある部屋を2人で占有。地獄から極楽です。

よく見ると、コンパートメ ントは5室しか無く、他の一等車席は、普通の縦列の席です。旅は、強い心を持つことですね。オーベルニュ地方は山林地帯だから、美しい緑が車窓から眺めら れ、あまり停車駅もなく、快適に走り予定通り9;51Vichy着。

Vichy駅で、明日の乗車券Clermont Ferrand行きの乗車券を買いました。一人わずか、7.2ユーロ(普通列車で30分しか乗りませんので、明日はフランスセーバーパスは使わないことに して正解でした)
Vichy駅からまっすぐ走っている大通りRue de Paris を8分ほど歩くと、左手にHOTEL DU RHONEの赤い看板が見えました。このホテルは個人旅行者にとても評判の良いホテルです。受付の人はおっとりしていて、午後は夕方まで誰もいないよ、ホ テルの玄関の鍵は<<<<の番号で開きます、というので早速VISAカードで宿代を払おうとしたら、いま回線が故障しているというので現金で払いました。 部屋代49ユーロ、プラス朝食代一人につき7ユーロ。と格安。エレベータは無いけど、3階の部屋は静かで中庭に面していて、快適。この値段ですからお風呂 ではなくシャワー。受付ロビーにはお利口な犬が留守番しています。玄関にはCOMPLET(満室)の看板。やはり評判がいいのです。

夏、日本のフランス料理店でも冷たいジャガイモのスープでビシソワーズというのがありますよね。これはビシー風の意味ですが、調べたところ Vichy出身のシェフがアメリカで作って評判になって、このような名前がついたとか。この町と縁があるのです。

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