ピレネーの山から海へ            

朝8時パリモンパルナス駅発のTGVはボルドーを過ぎて、黒松林の延々と続く単調な景色の中を進んでいきます。 もう午後1時です。車内があわただしくなってきました。お婆さんお爺さん達が入れ替わり立ち替わりトイレに入っています。圧倒的に老人の乗客が多いこの列車は、もうすぐ聖地ルルドに着くのです。ルルドは難病の人を治してしまう奇跡の泉で知られています。駅はピレネー山脈をはるかに見渡せる山の高台にあり、そこから道に沿ってどんどん降りていき町並みに入り川を渡ると、運動公園くらいの大きさの広場を有する教会に出ます。車椅子に乗った人や乳母車のような幌のついた手押し車に乗せられた人など何千という人の群れが、とぎれることなく渋滞もせず、整然と広場の外周を時計方向にまわりながら教会にお参りしています。パリ、ローマなどの旗をグループの先頭の人が掲げていたりします。国外からも大勢の信者がくるので、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語のお祈りをスピーカーで繰り返し流しています。教会は大きな岩の上に建っていて、その岩の向かって右側に12畳ほどの洞窟があり、そこから奇跡の泉が湧いているらしく、地上4メートルほどの高さに白いマリア様の像が掲げてあります。洞窟の入り口には鏡が立てかけてあり、神父様が信者のグループを招き入れて祈りをささげていました。私たち一般の人達は囲いの外から遠巻きにしてそれを見ているのです。洞窟のとなりの岩壁には金属パイプがひかれ、そこに30個ほどの蛇口が取り付けられていて自由に奇跡の水を汲んでいくことが出来ます。列を作って待っているわけですから、はやく進むように、一人につき2リットルまでに制限すると注意書きされています。おみやげ屋で売っているプラスチック製のマリア様を型どった水筒に奇跡の水を入れてきました。「アーベ、アーベ、アアーベマリーア。アーベ、アーベ、アアーベマリーア。」の合唱を耳にしながら、厳かな気持ちになっての帰り道、教会に通じる橋のたもとで手をだしている40歳位の男の人がいました。乞食かと思いましたが、げんきそうだし、こざっぱりしているし、はいている靴なんぞは私の物より上等に見えるし、わからない。私の娘がアイスクリームを食べ終わって、橋のたもとのくずかごに包み紙を捨てるのを見るやいなや、くずかごに走り寄ってそれを開いているのです。やはりフランス乞食なのでした。夜になっても信者の列はとだえず、紙で四面を囲ったローソク立てをかざした何千という人達の明りを高い教会から見おろす光景は本当に美しいものです。奇跡の水は効いたのかですって?茨城の知人から、この春、高価な西瓜が送られてきたので電話でお礼を言うと、「おかげさまで長年痛んだ膝がすぐに治りました」と申しますから、治療した覚えがないのにと言うと、「去年の夏にいただいたマリア様の水ですよ」との返事が返ってきました。
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トウルーズ駅のいちばん外れのホームからREGION MIDI PYRENEES というステッカーの付いた列車が出ています。平地走行とは違い、揺れがひどく感じます。2時間程でロピタレ駅に着きました。いよいよアンドラ行きの始まりです。この駅にはプラットホームがありません。荷物を引きずり降ろして駅を出ると、草原に囲まれた無人の広場があり、バス停などの標識は何もありません。遠くに集落が見えるだけで、一緒に降りた人達はどこかに行ってしまいました。引き返して、線路のところにいた駅員に「アンドラ行きのバス停はどこですか」とたずねると、「駅を出た向こう側」との答え。不安なまま広場でしばらく待っているとバスがきました。運転手さんが「フラン?、ペセタ?」と聞きました。アンドラはフランス、スペインの中間にあるピレネーに位置する国なので、2ヵ国の通貨が有効なのです。一人1000円ほどの料金を払い、首都アンドラ、ラ、ベッリャ行きに乗り込みました。線路の踏切を渡り道路に出るとすぐに渋滞が始まりました。一本道の先を見ると山すそを越えてくねくねと、ずーと車の列です。運転手さんは慣れているのでしょう、用意したカセットテープでクラッシック、ジャズ、ポピュラー、カンツオーネとつぎつぎに音楽を聴かせてくれました。車から降りて道端を歩いている人が幾人もいます。そして後から来る自分の車に拾ってもらう寸法です。雄大な景色を見ながらさわやかな山の空気を吸って歩くのは気分の良い事でしょう。途中でオーバーヒートして動けなくなった車もみられます。雲母のような輝く岩で出来た2800メートル級の山が終始バスの窓から見えます。この道を自転車で越えようと」する人達gいたのには驚きました。2時間位かかって峠の税関の町パ、デラ、カサに到着。植物の生えていない鉱山のような標高2000メートル位の山地に沢山の建物が立ち並び無数の車がひしめいている光景は、何とも不思議な気分にさせます。それもこれも、アンドラがごぞんじ無税の国だから隣国から買い物客が集まってくるのです。峠を過ぎると突然、道は空いてきます。買い出しの車が無くなったからです。谷川沿いに50分ほど下っていくと首都アンドラ、ラ、ベッリャに入り、細長い首都を15分あまり走りバスは終点に着きました。ここでもはっきりしたバス停の標識がなく、時刻表など皆無です。一方通行の道で終点になったので、当然、帰りの始発のバス停は別の道にあるはずです。もう帰りのことを心配しなくてはなりません。峠の町では寒いくらいでしたが、だいぶ山を下ったので、首都は夏の太陽に照らされて平地に近暑さです。初めにねらっていたホテルは小高い山の上の方で上がっていく気力もなく断念し、近くのホテルをあたりました。一軒目ダメ。二軒目ナシ。三軒目OKと思いきや「お一人さんのベットしか空いていません」。東京の銀座通りのような高級免税店が延々と連なり、しかも谷間の街だから歩道が狭いうえ、なんでこんなに人がいるのか(そういう私もその中の一人)まるで渋谷のNHK通りのような混み具合だと思いながら走り回り探して、やっと四軒目のホテルに入れたときには汗びっしょりでした。ホテルの屋上には大きな室内プールがあり、泳いだり、涼風が吹いているデッキチェアーに寝そべってピレネーの山並を見渡すのはまさに別天地です。それから、買い物に出かけましたが、なにしろ物価がスペイン並に安い上、税金無しの国ですから1000円もだせば十分な夕食をいただく事が出来るし、外国製品も豊富にそろっていて、夢のような数日を過ごしました。フランも通用しますが、文化、通貨ともほとんどスペイン圏です。おつりの硬貨をみたら、表も裏もCien と書いてあるだけで数字がないので、お店の人にたのんでアラビア数字を紙に書いてもらい、それが100ペセタ硬貨であることを教わりました。なにしろバこスが一日に二便しかないので、乗り遅れたら大変と、帰りの朝は30分前からバスを待っていました。すると今まで知らなかったお店が結構ありました。日中は人混みの中を人の背中を見ながら進むので見えなかったわけです。そのくらい混雑するのです。バスはフランスの鉄道駅ラ、トール、ド、キャロルに着きました。この駅の周囲は全然民家が無く、バスが走り去った後は沈まり返ってしまいます。そのうち肉屋の移動販売のトラックが駅前に停まって、どこからともなく買い物の主婦がt集まってきて一時にぎやかでしたが、トラックが帰りすぐ元の静けさに戻りました。一軒しかない駅舎内の食堂でお昼用に買った一個500円位のハンバーガーが、アンドラ帰りの身にはとてつもなく高価に感じられたものでした。
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地図を広げてみて鉄道から一番近くに海岸があるという単純な理由で、私たちはアルジェレス、シュール、メールの駅に降りてしまいました。小さい町ですが、なんとか宿を見つけて、さっそく海に出かけました。赤茶色の瓦に白い壁という地中海風の家並を見ながら徒歩で40分で海岸です。大勢の海水浴をする人がいましたが、砂浜が広いのでゆったりと泳ぐことができます。ほとんどフランス人、カタローニア系スペイン人等地元の家族連れで、服装も普段着です。たまに清涼飲料水を売る人が来るくらいで、のんびりしています。ピレネーの山がそのまま地中海に下りていった地形で、砂浜はやや急勾配で海へと続き、海底もそのままの勾配で深くなるので、8メートルも沖へ出ると背が立たなくなります。前は青い地中海、後ろも青いピレネー山脈と、素晴しい景色です。夕方までたっぷり泳いで、帰りはバスに乗りました。道中、ルナパークという立て看板が目に入りました。今夜何かあるらしい。夕食後ホテルで呼んでもらったタクシーで15分ほどでルナパークに着いた。そこは郊外の松林の中の広場に設置された移動式の遊園地でした。帰りのことが気になったので、1時間後にここへ迎えに来てくれますかと運転手にたずねましたら、それは出来ませんといいながら名刺をくれて、そこへ電話してくだされば来ますといって、タクシーは去って行きました。トロリーバスのような電気自動車に乗っただけで、早々に帰ろうと思い電話をさがしたが見当たりません。テントの中の人に聞くと、ここには電話は無いよ、道に沿って歩いて行くと店があるからさがしたら、との返事です。真っ暗な野道を明りを目指してあるいて、一軒のレストランにたどり着きほっとしました。ボーイさんに電話してもらうと、タクシーは間もなく来ますから、との返事。そこで飲んだコーヒーのおいしかったこと。小一時間が経ちましたが、タクシーは来ません。他の客も帰って店には私たちだけが残りました。店の音楽が止められ、明りも消されていきます。もう閉店の時間なのです。車が停って、男が下りて来ました。店のオーナーです。大威張りで夕食を作らせ、食べ終わると、うさんくさそうにこちらを見て、ボーイさんから説明を聞くと、どこまで行くのかと私たちにたずねておきながら、送ってくれるどころか、フン、どこか他へいって探せばいいのにと言うのです。だんだん夜風が寒くなってきました。11時を過ぎています。ボーイさんは気の毒そうな顔をして、すみませんが他で頼んでみて下さいと電話代(60円位)を私の手のひらに返しました。絶望。ーーーその時、天の助けか、あの見慣れたワゴンタイプのタクシーが入ってきました。なんでも交通事故があって遅れたのだそうです。宿についてみると、まだ電話代は私の手の中にありました。もう絶対、夜タクシーで出かけることはしません。絶対。