パリ、ランス、シャルトル、ノルマンデイーの旅

(杉浦正和 真理子さんの報告)

私達夫婦(私50歳、妻47歳長野在住)は、ここ4年間連続で12日間程夏フランスに行っています。去年はノルマンディ地域を回りました。

 まず、パリで3泊。例年は、朝早く到着するエールフランス便でしたが、去年は昼間の便にしたので、時差ボケもなく、元気。はりきりすぎてしまい強行日程になってしまった。朝8時、人通りは少ない。緑の清掃車が水をまきながら道路を掃除している。これもまたパリの風物詩。パンテオンを通ってソルボンヌ広場に着いた。威厳に満ちた建物に圧倒される。名門リセアンリ4世校の前を通ってリュクサンブール公園まで歩く。7年前と同じく色とりどりの花が迎えてくれた。黙々と掃除する人、ジョギングしている人、犬を散歩している人、こうしてパリの一日が始まる。

 ホテルに戻って朝食をとる。熱いショコラとクロワッサン、これぞフランスのpetit dejuner (それにしてもフランスのクロワッサンはどうしてこんなに大きいのだろうか)モロー美術館へ。サントリニテ教会の脇道にある閑静な住宅街の一角にあった。美術館というより普通の家を訪問したような感じだ。デッサンも含めてずいぶんの数が展示されている。強烈な色のイメージがあったが、描かれた線の細かさの方が印象的だった。2時間程ゆっくり観て、マドレーヌ寺院まで歩く。ギリシャ神殿のようなこの建物の中へ入るのは初めてだ。黒い服をきた人が大勢いるので不思議に思ったらお葬式だった。ここは教会なのだと改めて思う。向かいにあるフォションで買い物。ここはいつも日本人が一杯だ。

次にメトロに乗ってRue Bac の不思議のメダイ教会へ。聖カタリナにマリア様がご出現された場所だけあってたくさんの巡礼者が祈りをささげていた。近くのカフェで昼食。(オムレツ、サラダオーベルジュ、ロゼ)活気あるカフェでフランスにしてはサービスも早く味のほうも満足だった。ボンマルシェで買い物をする。パリ1の老舗デパートだけあって高級感がある。サントシャペルを見学していったんホテルに戻り少し休む。1日歩き回ってさすがに疲れた。夕食は2年ぶりのビストロ・シェ・アンリ。7時なのでまだ誰もいない。シェフとギャルソンのおにいさんが暇そうに通りを見て喋っていた。「入ってもいいですか?」思わず聞くと、「もちろん、ムシュダム」と愛想のよい返事が返ってきた。アントレにまず赤ピーマンの焼きマリネを頼む。冷たくて口当たりが良い。メインは、私がNotre fameux poulet de challans a la creme (シャロン鶏のクリーム煮)主人がFillet extra avec porvre vert (牛ヒレ胡椒ソース)味がしっかりしていておいしい。気がつくともう満席になっていて、皆しあわせそうな顔をして食べている。私たちもデザートを食べおわると、本当に幸せな気分になった。サンジェルマンデプレをぶらぶらしながら帰る。

 次の日は、朝7時前、まだうっすらともやのかかる中、ホテルを出てメトロの駅へ。人影もまばらの駅で広告のポスターを張り替えている人がいた。脚立に乗って巨大なポスターを手ぎわよく壁に張っていく、そのむだのない動きにみとれてしまう。フランス語でポスターを張る人のことをafficheur と言ったけ・・などとぼんやり考えていると電車が入って来た。乗り換えなしで東駅へ。ここは大きな荷物を持った人があふれていてなんだか上野駅のようだ。早速ランスまでの切符を買うために窓口へ。例のごとく一人一人の交渉(?)に時間がかかり、しかも窓口は1つしか開いていないので、待たされる。私の番、心配していたReims の発音は1回でクリア。しかし、行きの8時は取れたのだが、帰りの4時が取れなくて12時しかないということ。3時間しかいられないなんて・・と躊躇していると私たちのやりとりを聞いていた別の係の人が「マダム、ランスに行くのにゆっくりシャンパーニュが飲めなくて残念だけどBon Voyage!」などと余計なことを言ってくれる。何はともあれ切符は買えが、振り返るとかなりの人が並んでいる。フランス人は待つことに関しては辛抱強い。スタンドでサンドウィッチとカフェオレを頼む。焼き立てのバゲットがたまらなくおいしかった。電車の中はガラガラ。1車両に私たちと親子連れ4人だけだった。30分も走るともう窓の外には葡萄畑が広がっている。緑豊かな広い大地がつくづく羨ましい。9時30分にランスに到着。駅で時刻表を確かめると金曜日のみ運行の3時30分パリゆきがあるではないか!今日はまさしく金曜日。あわてて窓口へ行って事情を説明すると、いとも簡単に「問題ないですよ、その切符(12時発の)で3時30分に乗ってかまいません」何だか信じられないような事。聞き間違えだと困るので、別の窓口へ行って聞くとやはり同じ答えだ。いい加減というのかおおらかというのか訳がわからないが「ともかくラッキーだったわね」と言いながら駅を出る。

 日差しは強くぬけるような青空だが風が冷たくてセーターをはおる。詳しい町の地図がないので目指すカテドラルの方向がわからない。手元の略図を見ながら、私が必死で探していると主人が「あの人達がさっきからこちらを見ているよ」と言うので振り返ると、年配のご夫婦がニコニコして立っていた。これがMercier 夫妻との出会いだ。出会いは不思議な形でやってくるものだとつくづく思う。彼らのおかげでランスの町のかわいい裏通りを通ってカテドラルに着いた。その間マダムのColleto は喋りどうし。Jean-Pierre といつも手をつないで本当に仲むつまじい。せっかく知り合ったのだから「一緒にシャンパーニュを飲みましょう」と言わてカフェに入る。この素敵な出会いに乾杯してグラスを傾けると、グラスの中でキラキラと星のように細かい泡が光っていてなんとも優雅だ。Mercier 夫妻と住所を交換したりお互いのことを話したりでアッという間に1時間が過ぎる。Jean-Pierre がさりげなく席をたちラディションをしてくれた。私たちが日本に帰るとすぐに来た手紙といい写真といい感激するばかりでこれからずっと長くお付き合いしていきたいと思っている。今年も是非会いたいとのこと。パリで落ち合う計画にしている。 パリに戻ったあと、オペラ座近くで買い物をし、シャンゼリゼ通りを散策。凱旋門にはまだ登ったことがないので、今年は登りたいと思い、階段を必死になって登った。この日はさすがに疲れた。

 パリ最後の日、まだまだ行きたい所はたくさんあって気ばかりが焦ってまう。11時には出発しなければならないので、遠出は諦めてホテルの近くを散歩することになった。サンジェルマン大通りを進み、サンミシェル大通りを曲がる。カフエとパン屋だけはこの時間(9時)でももう開いていて活気がある。カウンターで焼き立てのパンをたべさせてくれる小さなパン屋があったので、そこでクロワッサンとパンオザマンド、カフェオレの朝食をとる。雰囲気が何となくスペインのバールに似ていた。サンミシェル大通りにある絵はがきやをのぞきながら歩いているとクリュニー博物館にぶつかり、時間があったら見たいのに・・・・とうらめしく思う。モーベール広場ではマルシェがたっていて果物、野菜、チーズ、花、日常雑貨などなどあらゆる物が溢れる中を店の人とお客の声が賑やかにとびかって、いかにもフランスらしい。私も思わずサクランボを買った。

 ホテルからタクシーでレンタカー会社へ。住所を見せるといとも簡単にウィ、ウィと言ってセーヌのほとりをものすごいスピードで走る。ラティオフランスの特徴ある円形の建物の前もあっというまに通りすぎ、レンタカー会社の小さなオフィスが並んでいる通りに止まって、「ここですよ。」と指さした所はHertz だった。疑いもせずにHertz に入って例のごとく待つこと10分、ところが・・・・「マダム、これはEurope Carですよ」会社を間違えてしまった。さいわい隣だったので急いで移動する。しかしドアには鍵がかかっていて「土曜日は12時から2時まで閉めます。」という貼り紙。時計を見ると12時2分、どうせ早めにお昼ごはんに行ったに違いない。何ということか!この観光シーズンに土曜日の午後2時間も閉めるなんて、信じられない怠慢さ!2時間もこの荷物をかかえてどうすればいいの!主人も憮然として「もうシャルトルには行かれないからな」と私に怒りを向ける。その時、ドアの向こうで誰かがカチャカチャと鍵を開けているのが見えた。あっ、と思った時ドアがスーと開いて若いお兄さんが「どうぞ」というしぐさをして微笑んでいる。「地獄に仏」とはまさにこういうことだ。ともかく荷物をかかえてオロオロしていた私たちを見るに見かねて入れてくれたのだろう。さっさっと手続きを済ませて食事に行きたいのか、顔は微笑んでいるが早口でせわしない。その間にも何人もの人がノックして入ろうとしているが、その度に2時までダメと断っている。かわいそうなお客さん・・・この国では「お客さまは神様」などという考えは存在しない。

 こんなトラブルがあってスタートはつまづいたがルノールーテシアの乗り心地は最高でパリのペリフェリックにもすぐにのれて、順調に高速道路6号をシャルトルへと走った。「パリから南西、車で1時間走ると豊かなボース平原の丘陵地帯が広がり、その麦畑の彼方に2つの尖塔が見えてくる」こんな文章を何度読んだことか・・・前回は電車だったためこのような¨出会い"はできなかった。今度行くことができたら絶対に麦畑の彼方からシャルトルを眺めたい。ずっと夢に描いていたことが、遂に実現した。どこまでも広がる麦畑のはるか右手にぼんやりと2本の尖塔が浮かんで見える。その姿は初め翳ろうのようで、近づくにつれ大きくはっきりと現れてくる。感動的だった。夢中でビデオをまわした。町に入ると急にその姿が見えなくなり私が大騒ぎすると、主人が呆れて「なくなるわけないだろ」と言う。それはそうだ、なにしろ狭い路地が入り組んでいるので方向がわからなくなってしまったのだ。車がやっと1台通れる石畳の路地を登っていくと突然目の前に姿を現し驚いた。とにかく車を置いて歩くことにする。昼下がり、ひっそりと静まりかえった街の中のすりへった石畳を踏みしめて歩いていると、まるで中世に迷い込んだようだ。時々黒の修道服のシスターとすれちがうくらいで、ここで人が暮らしているとは思えない。坂を上りきると大聖堂の北側に出た。空はぬけるように青く陽射しも強烈で暑い。目の前の大聖堂は眩しいばかりに輝いてみえる。脇にあるカフエで一休みしてから中に入った。ステンドグラスが1番美しく見えるのは、よく晴れた日の午後と言われている。今日は絶好の日、期待に胸を弾ませ中に入ったとたんひんやりとした空気と薄暗い聖堂の中にやわらかに差し込むステンドグラスの光に包まれる。それから双眼鏡片手に1枚1枚じっくり見た。その聖母の衣の色がシャルトルブルーといわれる「美しき焼絵ガラスの聖母」双眼鏡を通すと透明感のある独特のブルーがよくわかった。150枚に及ぶといわれるステンドグラスは見ていて飽きることがない。そして念願のゴシックの塔の上まで登った。60メートル,150ステップを登りきると息がきれて足もガクガク、しかし天気も良く最高の眺めだった。

4時すぎシャルトルをあとにしてジベルニーの近くの町ヴェルノンに向う。Panneaux indicateur の見方もRond Poin の通り方も完璧で順調にヴェルノンに入る。ホテルエブルーは小さいけれど、コロンバージュ(木組み)の可愛い建物で嬉しくなった。レストランの上にお部屋がある、といった感じで普通の家のようだ。黒のラブラドール2匹が迎えてくれた。部屋も広くお風呂とトイレも別になっていて清潔な感じだ。これで朝食つき2人で350フランというのだから信じられない。お腹もペコペコなので早速下のレストランへ。中庭がテラスになっていて夕食はここで、と案内される。3組の夫婦が静かに話しながら食事をしていて落ちついた雰囲気だ。心地よい風にあたりながらシードルを飲み、フルコースをゆっくりと味わい(125フラン)最高にしあわせな気分だった。ヴルノンで2泊。そこで、私が風邪を引いてしまい,薬局を探したが、日曜日ということで休み。当番薬局を教えてもらったが、分からず人に聞くと、車でついてきてくれとのこと。本当に皆親切。薬局は日本と違い、薬を出すまで症状等を詳しく聞き、まるでお医者さんのようだ。フランスでは薬局の人は権威があるそうだ。

モネの家は、大変な行列で30分近く待った。人が多いし暑いし。日本の家族に声をかける、奥様は元気一杯。ご主人は相当疲れている様子。その日は早くホテルに戻り休養。次の日は、レザンブレに寄った。ここの景色は絶景。ルーアン経由で、エトルタへ。エトルタはこじんまりとした町でホテルから海が見え、最高の場所であった。食事付きだったので、夕日を眺めながらのフルコースは最高。カップルばかり、2時間程ゆっくり食事を。日本では、外食でもせいぜい1時間がやっとなのに、フランスではなぜか、夫婦の会話もはずむ。他の人の会話が異国語といことで、あまり気にならない。日本語だとどうしても、あのカップルはどこからか。どういう人かと気にかかるが。ホテルの広いベランダからの夕日は、本当ににモネが描いたノルマンディの風景だと実感した。

そのあと、ノルマンディ橋を通って、ルアーブル、オンフルール、ドービル。とにかく寒くてセーターを着込みました。風邪も強くここでどうやって泳げるのか不思議。次の日も天候が悪くドービルの町をゆっくり見る位で泳ぐこともできなかった。最後にモンサンミチェル経由でサンマロに行く計画であったが、ちょっと疲れ気味だったので、ドービルのホテルでもう1泊延長。その次の日がとてもいい天気で、海水浴ができパラソルを借りて、日光浴を充分楽しむことができた。リジュー(小さき花の聖テレジアの町)へ寄って夜の便で成田に帰ってきた。