インターネットにフランス旅行のホームページを開いていると、E-メールでしばしばワインの産地であるブルゴーニュ地方の問い合わせが来ます。私自身行ったことがなかったので、逆に他の方に教えてもらうばかりでした。ワインの味はわかるのですがアルコールに弱い体質なので、わざわざそこまで行かなかったのかもしれませんが、一番の理由は、パリ-リヨン間のTGVの主要幹線がその地を通らずに走るので、交通が不便なことと、夏場は暑いのではないかと思ったからなのです。

今年の夏、ついにブルゴーニュのぶどう畑の中心都市ボーヌを訪れることにしました。夏時間午後3時(日本でいえば2時)ボーヌで下車。案の定、暑い。駅前にタクシー乗り場があるのに一台も見あたりません。しばらく待っていましたが、全然来ません。昼寝でもしているのでしょう。隣に電話ボックスがありましたが、プリペイドカードしか受け付けません。意を決して、「これが個人旅行なのさ」と言い聞かせながら、ミシュランの地図を便りに暑い日差しの中を荷物を引きずりながら、舗装のとぎれた道を汗とほこりにまみれて40分歩き、やっとホテルに着きました。このホテルの客は、なぜかドイツ語を話す人が多く、ドイツ語の飛び交うフランスのホテルのプールで、暑さをしのぎました。

ボーヌの市街には、カーブという地下貯蔵庫を持つ本格的なワイン屋さんが目に付きます。独特の美しい幾何学模様の瓦屋根を持つオテル・デュー(昔、貧者を入院治療した施療院跡で、院内にはジギタリスの薬瓶もありましたよ)の向かい側にある、観光案内所で、3コースあるぶどう畑巡り(なぜかサファリツアーという名前)の中から、ロマネ・コンティを予約しました。2時間でワイン試飲付き、一人4000円ほど、子ども半額ですので、家族3人約1万円のツアーです。

翌日夕方5時、観光案内所前のサファリツアーの看板の所でバスを待つ。時間になっても動きなし。道路の方に行ってみると、7人乗りのワゴン車が停まっています。運転手さんは居なくて、フロントガラスにバッカスツアーのステッカー。たぶんこれだろうなと思い、家族を残して観光案内所に確かめに行く。案内所の係りは2名しかいなくて、長蛇の列。順番を待っていると、ワゴン車のほうから手招き。皆さんすでに乗っていて、私が最後。なんでサファリツアーがバッカスツアーに変わるのさ。

30台後半の地元ロマネ村のお兄さんが運転手兼ガイドさんです。フランス語でいい人は?、ウイと前列のフランス人夫妻と、後列の私達。英語がいい人は?、イエスと中列のイギリス人夫妻(いや、あとでわかったら日本人夫妻。後ろからでは区別できません)。ということで、ガイドさんは二カ国語で解説(でも、細かいところのほとんどはフランス語でした)。

街をでると、たちまちぶどう畑が展開します。北上して、メイン道路から分かれて畑の中を20分ほど走ると、ロマネ・コンティのぶどう畑です。道路の西の方に面していて、その先は西日を浴びた小高い丘というより低い山に連なっています。写真でガイドさんが指さしている、左側がロマネ・コンティの畑で、切れ目の右側はリッシュブールというワインの畑です。正式には畑と言わずにドメイン(領地)と呼び、ドメイン・ロマネ・コンティ(DRC)と表されます。この日当たりと斜面が、グランクリュー(特級)のワインの原料を生み出すのです。ぶどうそのものは、この地方一帯、同じピノ・ノアールという赤ぶどうが植えてありますが、問題はその畑の土の性質で、土が変わると味が全然違うとガイドさんがいいました。地下約10センチメートルが4種類もの地層で出来ているのです。やや赤みを帯びたその断面が、自動車道路との境目の壁に展示されています。周辺は延々とぶどう畑が続いていますが、地層で決まるロマネ・コンティのドメインは、たかだか小さな小学校の校庭位の広さでしかありません。ですから、採れる量が限られ、高値を呼ぶわけです。

よくみると、緑のぶどう畑の中を走る小道の分岐点に白い十字架(クロア)がいくつも見えましたので、ガイドさんに質問しますと。それは、今では裕福なこの地方も、少し昔までは、凶作、飢饉に悩まされ、民衆が隣地の作物を盗んだり、時には、殺し合いまでしたのです。そこで、畑の境界をはっきりさせるためと、神がいつでもご覧になっているといましめて盗みや殺しを防ごうとして、十字架を立てたのです、という答えでした。

今では、車窓からは地平線が見えるほど広い農地を有し、200パーセントの穀物を自給し、外国にまで輸出している農業国フランスでも、一昔前は飢餓の時代があったのかと、思いもよらない学習をこの地でしました。

7月の終わり、まだ、ぶどうは小さい緑の実を付けたばかりでした。その葉は白い消毒液で覆われています。消毒液はヘリコプターで2メートル位の低空から散布するそうで、つい最近ヘリが墜落して大騒ぎしたそうです。空中散布だけでは、葉の下の地面まで、薬が行き渡らないので、噴霧器をつけたトラクターに似た車で地上を消毒するのです。結構手間がかかるようです。

畑からの帰途、ワインの試飲に一つのカーブに立ち寄りました。4000円のツアーでは、ロマネ・コンティなど出るはずがありません。SAVIGNY-LES- BEAUNE という村の Domaine SERRIGNY Jean- Pierre& Fillesというカーブです。地下貯蔵庫は、こじんまりしていて室温18度、涼しく感じます。細身のおばさんが醸造者で、清 澄も濾過も行なわないノンフィルターワインで、生産量も少ないという話です。なるほど、良く見ると、グラスの中のワインは少し濁っています。はじめは、シャルドネという緑のぶどうから造った白ワイン。果実の香りのさわやかな甘さ。つぎに自慢のピノ・ノアールという赤黒ぶどうから造った赤ワイン。ガイドさんは、このワインが好きだといっていました。確かに、軽い飲み心地、それなのに充実したこくがあり、香りよし。最後は別の赤ワイン。少し重い、渋い感じ。不思議なことに、アルコールに弱い私が、顔は赤くなるものの、酔わなかったのです。その後、即売。フランス人夫妻は2本詰めを買う。私は、重いから一本にしときなと妻に声をかける。買ったのは、2番目に出た、口当たりの良い、赤ワイン。

名前はSAVIGNY- LES- BEAUNE 1er Cru ” La Dominode”

いただいた、カタログには12-14度Cで保存し、16-18度Cでテーブルに出す(白は10-12度C)と記載されていました。 

カーブのおばさんが注文書をみせてくれました。そこには日本商事という、輸入会社が私の買ったものと同じ物を、数百本予約していました。ガイドさんが、このワインは日本のホテルオークラというところのレストランで出すために注文されたのですが、あなたはこのホテルを御存知ですかと聞いてきました。現地では65フラン(約2000円弱)でしたので、ホテルオークラでは、いくらで飲めるのかお楽しみ。

夕方8時、ボーヌの出発点に戻って解散。ワインを飲んでも頭痛はしないけど、ワインを熟成する間、地下貯蔵所で幾本ものワインの瓶を回転させることは大変な仕事で、頭が痛くなる、と云った地元ロマネから来たガイドさんの言葉が印象的でした。お目当てのレストランは、道を間違えて遅くなり満席ではいれませんでした。しかたなく、適当に出会ったレストランで名物のブフ・ブルギニヨン(牛肉のブルゴーニュ風煮込み)と、コッコ・オー・バン(にわ鳥のワイン煮込み)を食べました。出てきた料理は、一言でいえば、日本のビーフシチューから、甘みと塩味を抜き、ただワインの風味で食べさせるような素朴な物でした。