ポー
木立の多い明るい田舎道をバスが走っていきます。そして、各鉄道駅でしばらく停車します。乗客の少ない時間帯のローカル線は列車の代わりにバスを運行しているのです。村々をまわって、やがてポー駅に到着します。駅は崖の下にあり、町は20メートル位上にあるので、無料のケーブルカーで上がります。すぐに展望台のような公園があり、そこからピレネーの山脈が遠くに見えます。ここではアンリ4世のお城に行きました。ラテン系は昼休みが長くて、2時間も待たされてから背の低い男のガイドさんが出てきました。いくつもの大きな部屋を見学し、最後は奥の寝室です。戸棚に直径30センチメートル位のきれいな絵つけをした陶器の壷が陳列されています。上の口は一方がくちばしの様に飛び出て注ぎ口になっています。観光客はほとんどがフランス人とスペイン人ですが、みると皆ニヤニヤしてガイドの話しを聞いています。そういえばブルッセルの小便小僧の像の前でもこれと同じニヤニヤ顔を見たことがあります。ずばり、この陶器は王様の便器なのでした。これと同じ形をした小型の物を喫茶店で見かけて(コーヒークリーム入れ)、私もニヤニヤ。そのうち私は帰りの列車に遅れそうになったので、ガイドさんに告げると、秘密の抜け道から外に出してくれました。
ルルド

列車の中は老人の姿が目立ちます。駅は高台にあり、そこから街の中心へと道はなだらかに下っていきます。歩いて10分ほどで両側に商店街の続くあまり広くないメインストリートにでます。通りに車椅子の人がいるので団体バスは最徐行運転です。川を渡ると奇蹟の泉のある教会に着きます。世界中から奇蹟を求めて、病める人達が来ています。先頭の人が旗を持って、50人位のグループが整然と次から次に礼拝に訪れています。ぶつからないように大きな広場を時計回りに行進していきます。車椅子、乳母車のようなものに乗せられた人が沢山います。奇蹟の泉は教会に向かって右手の方の崖から流れ出しています。それを管に引いて一度に50人位が奇蹟の水をいただける様になっています。列を作って順番を待つので一人当たり2リットルとみずの量が制限されています。これを街で売っているプラスチックのマリア様の容器に汲んで持ち帰るのです。たえずアヴェマリアのお祈りの声が流されています。本当にありがたい気持ちになります。信仰の町ですから、高級なレストランはありませんが、安くておいしいです。ホテルは十分に在りますから心配ありません。私は橋のたもとのExcerciolに泊まりました。夜に大勢の人々の灯すローソクの明りを教会の上から見るのも美しいものです。
ペルピニヤン
大きな町で、マジョルカ王宮に行くのに徒歩で30分以上かかりました。王宮の入り口の通路にギターひきが座っていました。お金を差し出すとスペイン調のこぶしのきいた、渋い声で一曲歌ってくれました。
アルジェレス.シュール.メール
地図でみて、海に一番近い駅なので下りてみました。駅から徒歩で40分で海岸に出ます。ピレネーの山がそのまま海に入りこんだ地形ですから、砂浜も勾配があり、海は8メートルも進と背が立たなくなってしまいます。地元カタロニヤの人ばかりですが、家族連れでにぎわっています。町の教会の裏手のある蝶の標本を売っている店の人に日本人に久しぶりに会いました、と声をかけられました。彼女は東京からこの地に嫁にきて20年になるそうです。冬のピレネー下ろしの風はとても寒いそうです。彼女に教えられて、隣町のコリウールを訪れました。若い頃ピカソも滞在したそうで、この美しい海辺の町には今でも沢山の画家が絵を描いています。昼のスープ.デ..ポアッソン(魚のスープ)がとてもおいしいものでした。アルジェレスではGd H Commerceに泊まりました。立派なプールがあり、食事も地元で表彰された腕前です。
アンドラ


フランスに接したピレネーの独立国です。通常はスペインのバルセロナか、フランスのトゥールーズからピレネー鉄道を使って、ロスピタレ駅かラトゥール.ド.キャロル駅で下りて、駅前からバスに乗ってアンドラ.ラベッリャまで2ー3時間の旅です。駅に降り立つと、先ずバス停の標識が無いことで困ります。しかし待っているとバスが来ます。本数も少なければ、列車との接続も悪いので良く下調べをすることです。国境の峠は寒いくらいですが、2000メートル級の山を越してかなり下りていきますから、首都アンドラ.ラベッリャに入ると夏の気候です。どこからこのように沢山の人達が集まってきたのかと思う程街は混雑していて、赤い制服のおまわりさんが交通整理をしています。とにかく免税で物価が安いので夏休み中は大変混雑します。行くのは大変ですが、また行きたくなるような国です。観光案内所でホテルリストがもらえます。私が泊まったホテルはAndorra Palaceで屋上プールからのピレネー山脈の展望は最高です。