この夏は7月20日出発7月30日帰国。スペインのカタローニヤ地方から入りフランスのラングドック地方、プロバンス地方を抜けて、サボア地方までまわり、パリから帰国。地中海とアルプスの湖で泳いできました。

機内で
20日12時30分成田発エールフランス。今回のエコノミー機内食は大分良くなってきていて私には十分でした。子供は相変わらずカップラーメンを注文してうまそうに食べている。それを見た他の乗客も次々に注文(行きだけで、帰りの機内にはカップラーメンは用意されていません)。食事の後かたずけが終わると配膳室のカーテンが閉められ、スチュワーデスさんの姿も消えます。この時彼女たちは急いで自分の食事をしています。私は水をもらおうと思い配膳室のカーテンをめくると、三角の大きなおにぎりにフランス人のスチュワーデスさんが口を開けてかぶりついているところでした。フランス人でもおにぎりを食べるのですね。しかし、やはり海苔は嫌いなようで、白いおにぎりでした。11時間後にパリ着。乗り換えのバルセロナ行きのエアバスが、出発まぎわになって荷物コンテナを積み間違えたのがわかり積み直しして、一時間の遅れ。機内はスペイン風の家族連れで陽気でにぎやかなままバルセロナ到着。
Barcelona
バルセロナのサンツ駅前のエキスポホテルを予約していたのですが、飛行機が遅れたため鉄道は終りになり、バスで市内に入りました。空港から市内までは30分くらいで、停留所に着くたびに人々は降りていき、とうとう車内に私達と他の一人だけとなってしまいました。運転手さんに確かめると、次の停留所がサンツ駅だといわれ安心しました。夜11時ホテル着。さすがに疲労こんぱい。エキスポホテルは駅前で地の利が良い、新しい、値段も1万円くらいで手頃、朝食はいろいろ出ておいしい、隣はスーパーマーケットと、いうことなしのホテルです。ここのスーパーでパック入りの刻み野菜、とモンセラットという銘柄のトマト、そしてサルデアホ(にんにく塩)を買ってそれを野菜にふりかけて食べます。最高の味。
Tarragona
ゆっくり起きた朝食は、甘いパンと、とびきりおいしいバレンシアオレンジの生ジュースではじまります。バルセロナ.サンツ駅から列車で1時間ほどでTarragonaにつきました。途中はずーと美しい海水浴場、オートキャンプ場、リゾートマンションが連なり、どこの駅で降りても泳げます。さすがに黄金海岸の名が示すとおりです。Tarragonaの駅は海岸のそばなのですが、駅の出口は海と反対側の市街を向いており、海岸に出るには、20分位暑い中を回り道して歩かなければなりません。まずローマ時代の遺跡のある市街を歩き、お昼になったので新ランブラ通りのLa Ramblaというレストランに入ると、まだ客がだれもいなく、1時から始まるという。少し待たせてもらって、定食をたのんだら、そのボリュームの多いこと。生ハムまで入ったサラダは各自大皿に一杯。これだけで満腹になりそう。それにおいしい肉または魚料理とワインまでついて一人1,000円くらい。信じられない値段です。長い坂道を灼熱の太陽に照らされて海岸まで我慢の歩行。その後は、きれいな海と、真っ青な空や船を遠くに見ながら泳ぐ。周りは地元のスペイン人だけ。ああ、これがヴァカンスなのだ。持っていったござを敷いて寝ころぶ。夕方まで居て、海岸に備え付けのシャワーを浴びて、Barcelonaに帰る。
バルセロナのピカソ美術館
前回は道がわかりにくくて迷い、やっと着いたら、閉館30分前で断られてしまい、、今度こそという気持ちで行きました。10時開館直後に入り1時間ほど見て回る。ピカソは地元出身の画家なので展示作品数は多かったけれど、パリのピカソ美術館の方がはるかに充実した作品がある様な気がしました。
Figueras
ピカソ美術館から急いでホテルに戻り、預けた荷物をとってバルセロナ.サンツ駅に行き、12時20分の列車でFiguerasに向かう。発車5分前まで、出発ホームの番号が表示されず、おおあわてで乗り込む。3時少し過ぎにFiguerasに着く。インフォーメーションはまだ昼休みで閉鎖中。駅前にホテルなし。地図を頼りに暑い太陽の下を黙々と町の中心めざして歩く。ようやく、中心街の一角に ホテルDuranを発見し、そこに泊まる。ホテルDuranのレストランは豪華で、一流の味と格式を持っています。目の前で、食事をしようとした身なりのみすぼらしい男が追い出されて行くのを見ました。しかし値段は高くないですよ。あとでよく見回しても、結局このホテルしか見えないさびれた町です。街に出て遅い昼飯をたべて、すぐ近くのダリ美術館を訪れました。
ダリ美術館
ピンと髭をはやしたダリを変わった精密な絵を描く奇人と思っていましたが、ダリ美術館に入ったとたんに考えが一変しました。やはり、天才ダリ、なのです。その精密な表現技法の上に、時には科学的な、時には心理学的な手法を用いて、あらゆる表現の可能性を追求し、楽しみそして遊んだ、画家を越えた天才なのです。私たちは、ダリの作品を通してたっぷり楽しい体験をし、頭の中までダリの柔軟な思考でリフレッシュされる思いでした。1時間も居ればあらかた見終わる美術館が多い中で、ダリ美術館は3時間居ても面白くてあきないのです。ダリは偉い。
Cadaquez
朝9時Figueras駅前のバスターミナルからCadaquez行きのバスに乗ることにする。ホームに行き先が書いていないので切符売り場の人にたずねたら、指を7本出して7番線と教えてくれた。途中Rosesという湾岸の町を通り、結構高い山を越えると1時間でCadaquezです。スーパーでインスタントスープの元を沢山買い込んで(帰国してから使用するため)海岸に出てひと休み。早速ダリの住んでいた家をめざして小高い丘をだらだらと登る。やっと着いても、中には入れず、オリーブ畑越しに遠くから眺めるだけ。日差しは暑いし、くたびれ儲け(だから、わざわざ行くほどのことはないと思うよ)。元の海岸に戻って、海沿いに歩き勘を働かして選んだレストランは、木陰を額縁にして、美しい湾、船、対岸の色とりどりの建物が見渡せる、絵のような景色の中で、地元産開いた鰯の酢油漬け(これは本当に絶品)、薄切り子牛肉のフライ(衣のパン粉がファインでこれも 絶品)、鱈の煮込み、魚のスープ、冷えた白ワインの壷、と100点満点。これも一人1,000円位。ゆっくり食事した後はきれいな水の湾内(岩場でウニをとって食べていた人もいたくらい)で美しい景色の中で泳ぐ。最高の幸せ。スペイン、フランス、ドイツ、イギリス人は居るが、日本人は皆無。備え付けのシャワーを浴びてバス停に向かう。途中のみやげ物店で、ガラス入額縁で旅行鞄一杯のサイズなので重いから躊躇したが、結局ミロの絵の複製を買う。バスでFiguerasに戻る。
Sete
Figuerasから列車で国境を越えてフランスに入りNarbonneで乗り換え。待合い室で席を譲ったおばさんが、どこまで行くのかたずねたので、セテに行きますと答えると、セットと発音するのだよ、最後のeは読まないのさ、と教えてくれた。Seteはインターネットでカリフォルニアの工藤千絵さんが教えてくれた町で、グランドホテルが一番なのは知っていましたが、駅から遠いので、別のホテルを探すことにしました。駅前の運河を渡って市内に入り見回したところ、数軒のホテルがありました。その中で一番新しい看板のホテルを選びました(看板のくたびれているのは、はやっていない証拠)。これが大当たり。清潔な部屋に入ると、湯沸かしポットが用意され、コーヒー、紅茶のパック、そして一食分のカロリーがとれるというインスタント飲み物のパックまで付いていて自由に飲んで下さいと書いてあります。室料は3人泊まって7,000円位。正しくはHotel Climatという名のホテルで、その中に Restaurant La soupiereという名のレストランがあります。案内書を見ると、フランス全土にそのチエーンは及んでいて、LA SOUPIEREというスープポットのマークの付いたレストランを持つチエーンホテルで部屋も料理も安くておいしく、子供向けの遊びまで提供するのが自慢なようです。ご参考までにパリのところを抜粋しますので泊まりたい方はFaxで予約をしてみませんか。
10区Gare de l'Est住所31 bd de Strasbourg Fax: 01 47 70 32 17 料金 380-440F

12区  Nation  住所9,rue de Reuilly  Fax:01 43 70 96 53 料金 380-420F

14区 Montparnasse 住所 55,rue de PARIS  Fax:01 45 42 97 87 料金 440F

18区Montmartrez 住所 51,rue Letort  Fax:01 42 57 64 25 料金 365F-395F

19区 La Villette 住所219,rue de crimee  Fax:01 40 38 44 23 料金 365F
Seteはきれいな水の運河が走るとても美しい街です。まず銀行で円をフランに両替してから、グランドホテル側の運河に沿った道を海の方に歩いていくと、繁華街に入りインフォーメーションにたどりつきました。係りの人はとても親切で、大きな市街地図をくれて行きたい場所を云うとそこまでの道筋を丁寧に教えてくれました。早速市内バスに乗り海水浴場へと向かいました。8分ほどでビーチに着きましたが、次の停留所も、その次も、とビーチが続くのでとうとう終点(折り返し点)まで乗っていって、折り返した後、帰りのことを考えて一番街に近いところで降りることにしました。どの浜も家族連れでにぎわっています。隣に陣取った家族のビーチサンダルが飛んできたので返してやると、ありがとうとこちらを向き、腕時計をしている私達に今何時ですかと聞くので5時ですと答える。いずれも、こちらを向いて話しているのはトップレスのお姉さん達なんですが、それを見ても応対している私達は不思議と違和感がないんですね。やはりフランスだからなのですかね。インターネットで工藤さんが、まずいブイヤベースを食べさせられたと書いていたので、夜は運河沿いの何十軒と連なるレストランの中から鮮魚を並べて直販しながら営業しているレストランを慎重に選んで食事をしました。生カキはふっくらと大きく新鮮で文句なし。鰯の酢漬けも最高で日本の物よりうまい。。マグロのソテーをたのむと、筒切りになった厚さ3cm位の焼いたマグロの半身が皮着きで大皿一杯どんと出てその上にクリームソースがかかっている。見ただけでお腹一杯。これだけは日本料理に限ります。町の灯がゆらめく美しい運河や、船、あちこちで奏でられる生音楽を聞きながらの涼しい散歩。沢山の海水浴場と透明な水の運河、そしてSete風という名のつく地中海料理があるくらいおいしい魚介類。不思議なことに水道水までおいしい。Sete はその様な町です。ぜひ一度訪れて下さい。
Arles
Sete から Aix les bain に行く途中、 Arlesで約2時間程待ち時間があるので、町を観ることにしました。駅前でタクシーの運転手さんに1時間半後にまた駅に戻って下さいとお願いして乗りました。行き先はガイドブックにある写真を指さしてお願いしました。最初にゴッホの跳ね橋まで行きました。跳ね橋は木製なので腐るから、時々掛け替えているのだそうで、この日は橋脚だけで橋の本体はありませんでした。残念だね、9月になれば完成するんだけど、と運転手さんはなぐさめてくれましたが。そんなことはありません、と私は答えました。このうららかな田園風景はおそらく絵がかかれた当時と同じに違いない。ゆったりと流れる小川、魚が泳いでいる、水草も浮かんでいる、両岸には自然のままの木立が川面に影をおとし、対岸には古い一軒家、遠くまで連なる農地。ここに居ると静かで気持ちがいい。運河を船でのぼって訪れたオランダのダムという町の風景にどこか似ています。ゴッホはオランダ出身の画家です。ここに来てゴッホは故郷に似た風景に出会い、安らぎを覚えたことでしょう。跳ね橋なんか無くても、この雰囲気を味わえば充分です。雰囲気を記録したくて、ずーと動かず同じ風景を長い間ビデオに残しました。これからどこへ行きますか、と運転手さんがたずねたので、 Aix les bainと答えると、そりゃ遠すぎる、これからアルル市内のどこへ行きますかと云う意味で聞いたのですよ、と運転手さんが笑った。街に戻って、ローマ時代のアレーナなどの遺跡を観ました。浴場の跡はローヌ川そばにあり、ほてった体で川に入ったのだろうと思わせます。ゴッホの描いた黄色いカフェー、教会の中庭など主たる物をほとんど見せてもらい、時間通りに駅に戻りました。これだけお世話になっても、料金は3,500円位。親切な運転手さんは駅のホームまで私達を見送ってくれました。そして、Aix les bain に行ったら、ぜひ湖の向こう岸のAbbaye de Hautecombeを訪れなさい、とても素晴らしい所だから、と教えてくれました。
Aix les bain
エクセレバンのバンとはお風呂のこと。フランスでは珍しく温泉の出る所です。温泉を利用してフランス国内の主にリュウマチ患者のリハビリをする三階建ての国営療養所が中心街にある落ちついた静かな山添いの町です。水と木立と花があふれた、美しい公園には沢山のベンチが備えてあり、おいしい山の空気をすいながら休養している人たちがみられます。若い人はもち論ですが、お年寄りの姿が多いためか、横断歩道も整備され、物価も安く、ホテルの数も多いのに、日本のガイドブックにはとりあげられない、いわゆる観光客が訪れない、ゆったりと過ごせる町です。ここではほとんどのホテルが温水プール付きです。私達はその中からAgoraホテルを選びました。町は駅からなだらかな登りになっていて、その先は山へと続いていきます。Agoraホテルは、駅から歩いて10分くらいの平坦なところにあり(荷物を引っ張って歩いて行く私にとっては重要なこと)、中心街に近く、設備が新しく、料金が手頃なので選びました。地下のそれほど大きくはない温水プールで泳ぎ、ジェットバスに当たり、部屋に帰ると、肌がすべすべして、温泉の効果が感じられました。夜はあらかじめ調べておいた、ゴーミョーが、日替わりのデザートがおいしいと推薦する、近くのホテルPalais des Fleursのレストランに行きました。花の溢れた美しい部屋で、てきぱきとした笑顔のサービス、そして地元チーズ4品の盛り合わせ、とびきりおいしい羊肉の野菜煮込み(今回の旅行で一番のおいしさ)、地元のワインと自慢のデザート。子供はポタージュスープ(これもとてもおいしい)。笑顔で送られて、会計は3人で6,000円でおつりが来ました。安くて、最高においしかった。ゴーミョーのガイドブックに感謝します。お店がゴーミョーに推薦されるのは名誉なことですから、入り口に鶏マークのゴーミョーのワッペンが貼ってありました。翌日は午前中、美しい市街を散歩し、アシェットのフランス旅行ガイドブックを買う。バスでBurget湖のGrand Portまで行き、レストランLilleのランチを木陰のテーブルでいただく。まず、20cm位の長さのある軟らかくゆでたポロねぎが出て、それをナイフで適当に切って、摺った特産のくるみと酢で出来たたれにつけて食べるという、日本のねぎぬたの様なもの。これが絶品。続いて、ゆでたほうれん草を裏ごしして、クリームソースに仕上げたものがたっぷり載った、程良い焼き具合と厚みのおいしいステーキ。これで1,000円位と安い。ここもミシュラン、ゴーミョー共に推薦しているお店。さすがです。船の出発まで、港の景色を眺めながらエスプレッソを飲んで待つ。
いよいよ船で、Abbaye de Hautecombeに向けて出発です。Burget湖の水は間近にみると緑色に濁っていてきれいではありません。一時間で対岸の奥にAbbaye de Hautecombeに到着です。この地方の領主で地名の由来にもなったサボア家のお墓をまつった修道院なのです。一度に入れる人数は20人です。5分後に次の群が入ります。参拝者が大勢いたので、暑い日差しの下で順番待ちです。神父さんが、次はフランス語の群、その次はイタリア語の群、その次はフランス語の群と、わけています。英語は、と聞いて、神父さんにノンといわれている人がいました。私達は待つのがいやで、少ないイタリア語のグループに属して入りました。入ってすぐ各自に耳に当てる解説器を与えられました。イタリア語の解説です。それに従って、修道院内を廻るのです。サボア家の偉い人がイタリアのトリノで亡くなったとか言っています。この地方は昔は、イタリアで、今フランスに属しているという歴史があるようで、それでフランス語とイタリア語の解説をしているわけがわかりました。重厚で美しい装飾や彫像と、歴代のサボア家のお墓を見て廻りました。1時間半後、再び船で大港に戻りました。船の途中から、てっぺんが白い鋭い形をした高い山がみえてきます。ねこの歯と呼ばれるエクセレバンを象徴する山です。船から降りたら、小港までプラタナスが2km続く湖畔のプロムナードの散歩です。人々はペタンク、ローラースケート、釣り、ヨットと様々に遊んでいます。犬をつれて散歩している人が目立ちます。小港からはバス市街まで帰りました。夜になると、人気歌手のコンサートで市内の公園は遅くまでにぎわっていました。
Annecy
エクセレバンから列車で40分でアヌシー到着。駅から市街に出るには地下道を通らなければなりません。地の利を考えて、駅近くのCarltonホテルを予約しました。地の利は当たり。ホテルの中身は、はずれ。設備が古くて、一日目に使えた、テレビ、お風呂とも、2日目には故障。全然写らなくなるし、お風呂ときたら、温度調節器がこわれていて、(水ばかりというのはよく聞くけれど)熱いお湯ばかり出てしまう。洗面所から水を汲んできて冷まそうとしても、洗面器などは無いし、手桶もない。信じられないでしょうが、コップと、ミネラルウオーターの瓶に洗面所の水を汲んでは運び、それを何十回と繰り返してようやく入浴出来ました。一般に、アヌシーではホテル代が高い。その上、街や湖の環境保全のために一人につき一日当たり5フランの滞在税がかかるからです。そのかわり、湖の水は透明だし、公園や街角にあるトイレもきれいに整備されています。到着したのは日曜日。午前中は週に一度の朝市です。旧市街の中はずらっと出店が並び人で押すな押すなのにぎわいです。子供はフランスの犬の図鑑を買ってもらって大喜びです。大人は出来たてのチーズ(白くて豆腐のように水がたれてくる)、臭い熟成チーズ、豚の毛が紛れ込んだような雑な自家製ハムなどを買いお昼の準備。ふと見ると、おばあさんが200円くらいで、割り箸くらいの長さの木の枝を3本輪ゴムで束ねて売っている。これは何に使うの、とたずねると、噛んでしゃぶる木だというので、思わず買ってしまう。たしかに噛んでみると口の中に甘い味が広がる、そしてそれが長い間続く。おそらく、木こりか何かの山の珍味なのでしょうね。お昼は船着き場のある大きな公園のベンチで美しい湖とアルプスを見ながら、朝市で買い込んだ物をいただきました。子供はパンくずを雀や白鳥にやってはしゃいでいます。食堂付きの大きな汽船が出帆しました。私達は小振りな虹号という名の船に乗って、アヌシー湖一周に出ました。湖の広い中央部では、船長さんのご好意により、乗客の子供達に自らの帽子をかぶらせて操舵輪をにぎらせ、写真を撮らせてくれました。小さい船ならではのサービスです。あちこちの岸にホテルと専用の泳ぐための浜が見られます。美しい水と緑、青い空とそそりたつアルプス、どこをみても絵のような風景です。夜は湖岸の公園でジャズコンサート。かなり涼しくなってきます。
翌日は街に出て、お土産の買い物。まずは真っ黒にすすけた顔の煙突掃除人形。手作りTシャツやさんで、アルプスの花柄にAnnucyという文字を入れてもらい、自分だけのおみやげ。他の人にはアルプスのハーブを入れたきれいな匂い袋を沢山買い込む。午後はバスに乗りインペリアルホテルの停留所で降り、少し離れた岸にある公営の泳ぐための浜に行く。3人家族で入場料900円位。中は設備が整い、ゴミひとつ落ちていないから、皆はだし出歩いている。クロバーの生えている地面にござをしいたり、タオルをひろげたりして各自陣取る。家族連れ、友達どうしなど、フランス人ばかり、外国人は私達ぐらい。きれいな人たちが、並んでトップレスで日光浴をしているのは圧巻。隣でビスケットを食べている二人連れの女子中学生に日本のお菓子だよと、おかきの小袋を渡すと、メルシーという明るい声が返ってきました。水温22度と表示された湖に入るときは、冷たく感じるが、泳ぎ出せば適温。体が冷えたら、フランス人達と一緒に日光浴するのはすてきだし、美しいアルプスを見ながら泳ぐなんて、最高の贅沢。これで、今年の旅行中に泳いだのが7回目。すばらしいバカンスだ。夕食は市役所前のその名もBrasserie de l'hotel de villeでとる。一日目は、シュークルートなどをとり、雰囲気も良くて満足し、翌日も行くと、その日のギャルソンは調子の良い禿げたおじさんで注文したよりも倍の数のエスカルゴを持ってきた(もちろん値段も倍取られる)。しょうがないか、などといいながら食べ終わると。こんどは、私達は各自、別の魚料理を注文したのに、同じ料理を二皿持ってきた。ついに、馬鹿にされたなと頭にきて、おい、注文したものとちがうじゃねえか、(スネパ、スクジェコマンデ、こんな事もあろうかと思って丸暗記していったフレーズ)と文句をいうと、取り替えに戻り30分も待たせて注文した料理を持ってきた。どうも、有名な観光地は、この手の悪がいて困ります。
Paris
アヌシーからパリ、リオン駅まで直通のTGVで3時間40分です。パリ、リオン駅からタクシーでいつものホテルに向かいました。ホテルに近ずいたなと思ったところで、運転手が、全然違う方向に車を走らせ始めました。遠回りして稼ごうと言うわけです。ホテル近辺の地理は百も承知の私ですから、止まれ(アレテイッシイ)と2度3度叫んでようやく道路際に車を止めさせました。料金の段になってメーターより多く請求するので、なぜかと聞くと、荷物代だという。積み込むときは目で積めというだけで手伝ってくれなかったので、今度は運転手に荷物を下ろさせました。どうも、有名な観光地は、この手の悪がいて困ります(また同じ事を言ってしまった)。パリでは2時間ほど外出して、fnacでパソコンソフトを買いました。翌日の午前、近くのスーパーで、コーヒー豆、チーズ、ヌッテラ、そしてアップルテー(徳島県の上原美由紀さんのアドバイス)を買い込んで帰国。機内販売でモンサンミッシェルのビスケットも注文しました。上原さん、ありがとう。
帰りの機内で
新聞がいただけるので、私はいつもLe FIgaroをもらいます。機内の乗務員にだれかinternet(フランスのテレビでは、アンテアネットと発音していました)をしている人を知りませんか、と聞きましたが、する暇がなさそうです。でも、ハンサムな彼の住所を教えてもらいました。地図に出ていない小さな町で、ゴーミョーで検索したら、ベルサイユの近くでした。黒髪、黒い瞳のハンサムなエールフランスの乗務員はムッシューDominguez Ramonさんといいます。
まとめ
フランス、スペインの海水浴場をまわってきましたが、どこも、ゴミ一つ落ちていないという、わが国と比べてすばらしいマナーの国です。いずれの海水浴場にもシャワーが完備されていて、無料で、国民がお金を使わず、心ゆくまでバカンスを楽しめるようになっているのです。それに比べて、何にでもお金のかかり、ゴミのあふれている日本という国は、何ともなさけない国です。

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