ラボール、ルクロアジックのレポート(石塚夏樹さんの報告)

私は塩野義製薬中央研究所に勤務する有機化学者です。

9月中旬に関係学会の招待で、1週間ほどラボール(La Baule)周辺に滞在してきました。講演依頼の招待状がきたものの、そもそもラボールなる場所が一体どこにあるのかすらわからず、非常に困惑しておりました。インターネットで調べている内に、このホームページにたどり着きました。そして、ラボール、クロアジック等のレポートを拝見し、非常に参考になるとともに、クロアジックなど是非行ってみたいと思うようになりました。欧州は全く初めてでした。一人でふらっと行って参りました。

ルクロアジック(Le Croisic)

関空発の日航機で夕方パリに着いた後、歩いて空港駅に行きました。列車の時刻はインターネットで調べていたので、確認も兼ねて予め座席を予約しておこうと思ったのです。翌朝9時モンパルナス発のTGVで終点ル・クロアジックに向かいました。予約した席は最前部にある通勤列車のベンチ風座席にあり、家族連れや数人の若者達と一緒でした。まわりは結構混んでいるのですが、車内を見て回ると、後部のコンパートメント席は殆どが空席(ナントまでは何と40両連結!)なので車掌を見つけて座席を代えてくれるよう頼みました。英語のできない年輩の車掌は(多分)どこでも好きなところに座れ、と身振りで示しました。予約席は先頭車から順に詰めていく様な感じで、前部が混んでいる割には後部車両には私一人しかいませんでした。広くて快適な席で、景色を楽しんでいる間にあっという間に終点に着いてしまいました。

これより先は紛れもなく大西洋であることを示す車止めと、20両連結のTGVには似つかわしくない小さな駅舎があるだけの何とも物寂しい田舎の駅、終着駅ルクロアジックにつきました。とりあえず昼食をとるため、切符売り場の女性にトランクを預かってもらえないかとたのむと、駅長室に案内してくれ、気軽に預かってくれました。

駅前の旅行案内所できくと、5分も歩けばレストランのある町があるとのこと、道なりに歩くとすぐに海岸にそって、たくさんの店が並んでいるのが見えてきました。一回りした後、郵便局近くのレストランに入りました。隣席の老夫婦に話しかけると、夫婦で英単語を探しながら、という感じでしたが、お互い下手な英語で会話がはずみました。「フランスのレストランででるオマールの多くは実はカナダ産でおいしくない、ルクロアジック産のオマールが一番おいしい!」。彼らのたったこの一言で、最終日はルクロアジックに泊まることになってしまいました。話が前後してしまいますが、学会が終わると、すぐルクロアジックに舞い戻りました。「chambres」という看板をだしている海岸通りの小さなブティックをみつけ、宿の交渉しました。私は仏語は全くわかりません。亭主は英語を少し理解はできるようでした。「海側の部屋は空いていないが、反対側はあいている、280フランだ」、ということで部屋を見せてもらいました。暗くて狭く、急な階段を3Fにあがると、意外にも部屋は広く明るく非常に清潔でした。洗面所、シャワー、トイレがあり、2つの窓からは街がよく見渡せました。宿と言うより民宿、民宿と言うより下宿屋の一室といった感じでしょうか。一目で気に入り、その日の宿としました。実際熱い湯もたっぷりでて、質素ではありましたが快適ですごくいい部屋でした。海側の部屋はもっと景色が良かったのですが、、、。

翌朝宿の亭主に「オマールが食いたい、いいレストランを紹介してくれ」、と言うと、「ブイアベース」、「いやブイアベースじゃなくて、オマールだ」、そんなやりとりを数回繰り返したあげく、ブイアベースというのがレストランの名前だと言うことが判りました。宿の亭主が書いてくれた紙切れをマダムにわたすと、非常に喜んで席に案内してくれました。オマールなど前日出会った老夫婦から教えてもらったおすすめ料理を一通り注文し、ワインはマダムにまかせました。料理がでてくるたびに、マダムが手取り、足取り(エビの足です)食べ方を丁寧に教えてくれます。一段落すると今度は大きな生きたオマールを持ってきて、これでいいか?と聞きます。間もなくオマールと新しいワインがきました。どの料理もワインとよくあって素晴らしくおいしいものでした。時間がないのでコーヒーを頼むと、だめだ、といった感じで手を振ります。「コーヒーが飲みたいんだ」、と再度いうとまただめだ、といって奥に引っ込んでしまいました。どうしたことかと思っていると、オマールの残りがでてきました。半身づつでてきていたのです。動けないほど飲み食いして請求は500フランほどでした。前日の老夫婦には、一品料理を注文した時はチップを渡す必要はない、といわれていました。ガイドブックにかいてあることとはだいぶ違うので半信半疑でしたが、請求通りの金を渡すと、残ったワインに丁寧に栓をすると手渡してくれました。ここの料理は、後日ラボールのHotel Hermitageの晩餐会メニューの海鮮料理よりはるかに新鮮で、質も味もいいものでした。ワインを飲み過ぎてふらつく足で駅に向かい、発車寸前のTGVに飛び乗りました。今度は席の予約などしませんでした。結構混んではいましたが、車内で切符を買いパリに戻り、そのまま帰国の途につきました。

ラボール(La Baule)

学会の会場および宿泊場所は小森谷さんの記事にも登場するHermitageでした。駅前でようやくつかまえたタクシーの運転手に「明日からは学会でHermitageだけど、今日はとりあえずMajesticに行ってくれ」、というとHermitageの前で一旦止まり、「Hermitageは高級なホテルだ、しかしMajesticはとてもいいホテルだ」、といいました。実際Majesticは外観こそ日本のラブホテルの様でしたが、海を真正面に望み、部屋の内部やバスなどの設備はHermitageや、ましてやパリで泊まった1500Fもするホテルなど足下にも及ばない位快適で素晴らしく質のよいものでした。これで宿泊料は520Fでした。もしもHermitageに泊まる必要がなければ、ずっどそこにいたいと思ったほどでした。

ラボールに着いたときは、まるで台風の様な土砂降りの雨と風でした。ホテルのレストランで「今日はひどい天気だったね」、というと、「いや、いつもこんなもんですよ」、という答えが返ってきました。実際それから毎日必ず1回は突然真っ暗になってものすごい風と雨がやってきました。ところが数時間経つと嘘のように晴れ上がります。これがなければラボールも南仏並の保養地になっていたかもしれませんね。

実は学会前後もHermitageに泊まりたいと思っていたのですが、何度FAXで問い合わせてもなしのつぶてなのです。業を煮やして直接電話すると、何度も担当がかわったあげく、満室だ、と断られました。翌日思いがけないことにMajesticから予約を受けるというフランス語のFAXが舞い込んで来たのです。その時は随分安いホテルだし、フランス語で書かれた意味が正確に理解できないこともあり躊躇しましたが、他にあても無かったのでFAXで予約する旨の返事をだしていたのです。ところが翌日Hermitageに言ってみると、受付は「石塚様のお部屋を用意しておりましたのに何こなかったのですか」などとと封筒に入った鍵を見せながら言うのです。私もかちんときて、「何度連絡しても返事はよこさないし、第一部屋がないから、とMajesticを紹介してくれたのはお宅じゃなかったの!」と強く言うと、「部屋代は結構です」などと平然というのにはあきれてしまいました。Hermitageではキングサイズのベッド2台の入ったプールを見下ろす広く豪華な部屋でした。料金表には2450Fとかかれていました。Hermitageはみかけや規模は確かに高級で立派なのですが、室内の清掃などかなりいい加減で、周囲ののどかな雰囲気とかけ離れたラボールの町と同様いい印象が全くありません。

ゲランデ(Guerande)

ラボールから内陸に向かって約6km、街は昔の城壁に取り囲まれており、内部には土産物屋が建ち並んでいます。行くときはタクシーでいきましたが、途中運転手が何時間いるのか、としつこく聞いてきました。様子がわからないので、わからない、と答えましたが、帰るときになってその理由がわかりました。タクシー乗り場はあるのですが、タクシーなど一向にきません。ゲランデはこの地方の交通の要衝にあり、殆どの人は車か観光バスでやってくるのです。わざわざタクシーで来る人はいないのでしょう。電話で呼ぼうかとも思いましたが、天気も良かったので歩いて帰りました。ゲランデをでるとラボールの街がよく見下ろせ、まわりの古い集落や周囲の原野などの景色を楽しみながらの1時間半ほどの徒歩の旅は結構楽しめました。ただ一つ困ったことは、のどがかわいても日本では当たり前の自動販売機がどこにもないのです。また予約をしなければタクシーが運良くやってくることなどまず期待できない、とのことでした。

Briere国立公園(Parc natural regional de Briere)

学会の参加者達とバスでBriere国立公園に向かいました。見渡す限り水路や湿地帯で囲まれた原野です。はるかかなたにぽつぽつと教会の尖塔が見え、そこに集落があることが判ります。しかし見える範囲内はすべて荒涼とした湿地帯です。所々にある集落はどの家にも美しい花が飾られ、小さな石造りの家の屋根は日本風にいう茅葺き屋根です。ここではポンコツのシトロエン2cvが本当によく似合います。観光客など他には誰もいません。車でも無い限り、ここまで足を延ばす人は殆どいないのでしょう。St Joachim近くのIle de Fedrunという集落では水路をめぐるボートに乗りました。6人ほどが乗れるボートで、船頭が奏でるようなフランス語で絶え間なくガイドをします。英語に訳してくれたところによると、この辺りは塩分を含んだ水が混在し、冬は水量があがり水没するとのことでした。日本に帰ってからカルナックで手に入れた古地図をみていて気がついたのですが、この辺りは昔ロアール川とその北側にある川に挟まれた狭い領域で、そのために湿地帯となっている様です。農家の周りには鳥や家畜がおり、木や美しい花がさいています。それ以外はとにかくどこまで行っても荒涼とした水路と荒野ばかりです。しかし村落の家はどこにいっても花で美しく飾られ、たいてい小さなホテルがありました。気候のいい季節に是非もう一度行ってみたいと思いました。

フランス人は英語を知っていても話さない、と聞いていました。フランス人の学会参加者は国外に留学経験を持つエリートばかりですから当然英語はうまいですし、ラボールも観光地だから当たり前としても、ルクロアジックやゲランデですら、若い人は英語がうまかったですし、うまくないまでも積極的に英語で話そうとする人が多いと思いました。周りにいる人が英語で助け船をだしてくれたりして、どこに行っても英語だけで全く困ることはありませんでした。私自身フランス語は全く理解できないし、英語もうまいとはいえません。むしろ下手なもの同士という感じで米国よりもはるかに気軽でした。これまでもう一度行ってみたい、とおもう場所は多くはありませんでしたが、ブルターニュ地方、特にこの公園は最も印象が深く、是非もう一度行ってみたい場所です。