ボルドーからバスクへ食べ歩き         

ボルドー行き列車 の窓から黒松林の切れ間に大西洋の砂浜が見えてきた。潮干狩りをしている様子であった。その夜、ガロンヌ河畔の店でパエリヤを注文したら、案の定、大きなハマグリ様の貝が沢山はいった鍋が出てきたので、サングリア(レモンの浮いた赤玉パンチ)を飲みながらたいらげた。ワイン工場を見学したが、現在は巨大な金属性タンクで醸造し、水流で一定の温度を保つ近代的なものであった。当地のワインは美味で、日本で時折出くわす渋みや酸味の強いものは、保存状態が悪くて変質したものであることがわかる。旅一番のお目当ては、ガスコーニュ産フォアグラで、ガチョウではなくアヒルから得られる小ぶりなもので、しつこくなく最高にうまい。安宿しか空いていなかったので、浮いた宿代で一流レストランへ行った。オマールエビを注文したら、その日の宿代の5倍もの請求書を見てびっくり。ボルドーからバスク地方に行き、首都バイヨンヌで名物の生ハムを食べて見た。大きく、硬く、野性味がありすぎて一回でもう沢山。そこからスペインまでは美しい海岸が続き、とりわけビアリッツは有名な海水浴場である。昼時テーブルに着くと、黒ひげ、こわ面の典型的バスク人のおじさんが、「これはうまいよ」と厚切りの網焼トーストを投げてくれた。フランスのレストランではパンは無料。生ガキを1ダース注文。いい香りで、貝がらの中の海水まですすってしまう。カキのサイズは数字で表わされ、ゼロ番が最大のようであった(未確認)。岬の女神像を見たりして散歩していると、鉄板にサラダ油をしき、10センチ足らずの生のイワシとイカを焼いて、酢をかけたものを売っていたので、マンタロー(ハッカ水)と食べたが、結構いけた。腹ごしらえが出来たので、衣料品店で海水パンツを買う。試着のため更衣室のカーテンを少しめくると、白い脚と黒いデルタが眼前30センチにあった。驚いて引き返し、商品の物陰で着替えて浜にでた。人々はゴザ(中国製)か、大きなタオルを砂浜に敷いて日光浴をしている。トップレスもいる。時折キャンデー売りが廻ってくるほかは静かで、読書をしている人もいる。夕方になると潮が満ちてきて、人々は今まで敷いていたタオルで体をかくして、その場で着替えて帰り始める。闘牛場は赤、緑、黒のバスバスク帽の男達でカラフル。バスク帽は薄手のフエルト製で、ベレー帽に似ている。頭が蒸れず軽い。闘牛士がまさにとどめの剣を刺そうとする度に(真実の時)、子供達は口に指をあてて「シー」と言っていた。軽快な音楽で明るい雰囲気ではあったが、土にしみこんだ血の生臭さが鼻につき、しばらくの間、牛肉を食べる気にはならなかった。